バドミントン大堀彩、東京五輪で恩返しメダル!14歳で被災「あれより怖いことは一生ない」

2017年3月8日8時0分  スポーツ報知
  • バドミントンができる幸せを感じているという大堀(カメラ・尾田 敏成)
  • 20年東京五輪を目指し練習を積む大堀彩

 2月7~12日にバンコクで行われたバドミントン「タイマスターズ」の女子シングルスで、大堀彩(20)=トナミ運輸=が準優勝した。2011年3月11日、当時通っていた福島県の富岡一中2年時に東日本大震災に遭い、慣れ親しんだ土地を離れて避難所生活も経験した。あれから6年。バドミントンができる喜びを感じながら、2020年東京五輪でのメダル獲得を目標に練習を続けている。

(取材、構成・尾田 敏成)

 女子部のないトナミ運輸へ来て約10か月。周囲は男子選手ばかりだが、大堀は「みんなの、気を使わない接し方も優しい。やりやすいし、ありがたい」。福島県出身。14歳の時に東日本大震災を経験した。「あれからもう6年か、という感じですね」。自宅と母校がある富岡町は福島第一原発事故で避難指示が出されていたが、この4月には一部区域を除いて解除される。

 11年3月11日午後2時46分。富岡高の体育館で練習中、地震は突然襲ってきた。「強い揺れで建物と建物がぶつかり合って、雷みたいな音が鳴っていた」。体育館の照明は消え、外へ逃げ出した。「皆、何回も転んだと聞きました。私も…。走っている自分の動きと、揺れとで。パニックもあったと思います」。学校のグラウンドに置いた父の車の中で一夜を過ごした。

 巨大な津波が町と福島第一原発を襲ったことは、まだ知らなかった。「『明日は学校も練習もないだろうな。あさってぐらいからかな』とか思っていた」。しかし翌日、「『原発が爆発しました。危ないので逃げてください』というようなことが町内放送で流れました。普通の生活どころか、生きるか死ぬかの状況になっていた。怖かった」。翌12日に、隣の川内村の避難所へ移動した。

 父の実家がある栃木県へ避難した後、練習場所を求めて大阪、千葉などを転々。「富岡町は立ち入り禁止区域になってしまっていた」。2か月が過ぎた5月、福島・猪苗代町に機能を移した学校が再開し、生活はやっと落ち着いた。

 震災から4年が過ぎた15年7月ごろ、大堀は母と2人で富岡町の実家へ一時帰宅した。「家は高台にあったので被害はなかった。でも、通っていた中学校の1階は水没しました。同じ学校の人が津波で亡くなったりもした」。町には最大21メートルもの津波が押し寄せた。自宅の周りにはダチョウやイノブタが野放しで、家の時計は2時46分で止まったまま。毎日使っていたという富岡駅があった場所に寄った。「あっちには海があって、駅はなくて。海はずっと遠くなんですけど(それが見えるほど)更地になっていて。悲しくて涙が止まらなくなった」

 大堀の生活を大きく変えた震災。それでも前を向く。「あれより怖いことはもう一生ないかな、と思う。あの日々を考えたら今、バドミントンが出来るのは幸せなこと。(試合で)緊張するとかが小さな事に思えるようになった」

 勝つことの意味も増えた。「18年間福島にいて、多くの人にお世話になって今の私がいる。自分や家族のためというのもあるけど、お世話になった人達のために勝ちたい」

 3年後の東京五輪が目標だ。「近づくほど、出ることの難しさを感じるようになった。でも、それを達成しないとバドミントン人生終われないな、と思ってます。メダルまでが目標。何色でもいい。日々の積み重ねの結果がメダルの色。結果は最後についてくるものなので」。競技を始めた6歳の頃、福島で抱いた夢を、大堀は追い続ける。

 ◆大堀 彩(おおほり・あや)1996年10月2日、福島・会津若松市生まれ。20歳。富岡高バドミントン部監督の父・均さん(4月からトナミ運輸女子専属コーチに就任予定)、元実業団選手の母・麻紀さんの影響で、小学生から競技を始める。07年の全国小学生選手権、11年全国中学生大会で優勝。富岡高では12年から全日本ジュニア連覇、13年はアジアユースU―19選手権で日本人初優勝。15年NTT東日本に入り、16年トナミ運輸に移籍。女子日本B代表。169センチ。左利き。血液型A。

  • 楽天SocialNewsに投稿!
球技
今日のスポーツ報知(東京版)