山中慎介は高校で“強制左構え転向”…恩師・西井一氏が明かす原点

2017年8月14日11時0分  スポーツ報知

 ◆報知新聞社後援 プロボクシング「ワールドプレミアムボクシング」▽WBC世界バンタム級(53・5キロ以下)タイトルマッチ12回戦 山中慎介―ルイス・ネリ(15日・島津アリーナ京都)

 WBC世界バンタム級王者・山中慎介が、超早期決着を予告した。同級1位ルイス・ネリとの13度目の防衛戦(報知新聞社後援)の調印式が13日、京都市内で行われた。連続防衛の日本タイ記録がかかる王者は「一瞬で試合が終わるかもしれないので、しっかり見ていてほしい」と自信を示した。南京都高(現・京都広学館高)時代の恩師・西井一さん(50)が“神の左”の原点を語った。

 ◆高校時代の恩師西井一氏 中学まで野球少年だった山中は98年春、WBC世界バンタム級王者・辰吉丈一郎(大阪帝拳)に憧れ、ボクシングの名門・南京都高に入学した。のちの監督で、ボクシング部コーチだった西井一氏(現・京都府立北桑田高講師)は「脚力が優れていた。数値は忘れたが、走り幅跳びや50メートル走は陸上部並み。反復横跳びもトップ。『神の左』はあのバネだから打てる」。並外れた脚力が、踏み込んで打つ直線運動の威力を高めていると説明した。

 当時ボクシング部監督だった武元前川氏(故人)は、希少価値のあった「右利きのサウスポー」発掘に力を注ぎ、山中らに左構えを試させた。利き腕で強い右フックが打てる上に、力まず左ストレートを放てるのが利点。左構えに違和感がある選手は右構えに戻したが、山中はフットワーク練習で慌てなかった。右構えの辰吉に憧れ、無断で何度か戻す度に、素質を見抜いていた武元監督に怒られた。1か月弱で左構えが定着。「神の左」の原点だ。

 2年から公式戦に出始め、副将だった3年の00年夏、フェザー級で出場したインターハイ決勝で判定負け。団体戦でも逆転されて優勝を逃した。「よほど悔しかったのか、目の色を変えて練習に取り組むようになった」と西井氏。サンドバッグ打ち、1・2キロの鉄アレイを両手に持ってのシャドーボクシング…。当時の南京都高で全体練習の3割を費やした「しっかりパンチを打つ」基本練習に励んだ。同年秋の国体決勝で同じ選手に判定勝ちし、自身初タイトルを獲得。京都府の団体優勝にも貢献した。

 専大に進んだ4年間は無冠だった。悔しさをバネにプロで飛躍した。西井氏は「(利き腕の)右構えなら“神の右”になっていたかどうか。力み過ぎず打てる左だから“神”になれたのでは」。プロでの出世を支える武器を授けてくれた武元監督は10年2月、50歳で急逝。山中は世界王者となった11年11月、墓前に報告した。(特別取材班)

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