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没後8年、三沢光晴さんの思いは生きているだろうか…金曜8時のプロレスコラム

2017年6月16日8時0分  スポーツ報知
  • GHC王者時代の三沢光晴さん

 全日本プロレスで三冠ヘビー級王者、プロレスリング・ノアでGHCヘビー級王者だった三沢光晴さん(享年46)が2009年6月13日に亡くなってから、8年が経過した。13日の後楽園ホールは、ボクシングの興行だった。ノアによる命日大会「三沢光晴メモリアルナイト」は2015年の広島大会で途絶え、昨年は12日の後楽園大会で追悼セレモニーが行われ、今年の後楽園での追悼セレモニーは4日に行われた。

 取材に行けなかったので、15日に放送された日テレジータス「プロレスリング・ノアSP」で追体験した。会場には献花台が設置され、そしてシルバーのロングガウンを着てGHCのベルトを巻いた三沢さんの全身写真が飾られていた。

 第1試合開始前に三沢さんのテーマ曲「スパルタンX」が流れ、ビジョンに三沢さんの入場シーンが映し出される。同時に現GHC王者・中嶋勝彦、丸藤正道、杉浦貴、潮崎豪、齋藤彰俊、小川良成ら選手が入場。放送席には小橋建太さんの姿も。テンカウントゴングの後に、「GHCヘビー級初代チャンピオン、255パウンド、三沢光晴!」とコールされると、緑、黄緑、白の紙テープがリングに投げ込まれた。メインは中嶋とモハメド・ヨネのGHC選手権だった(7月5日に再放送)。

 三沢さんを初めて取材したのは1996年3月2日の日本武道館。当時の全日本プロレスは鎖国体制で他団体はもとより、マスコミにも閉鎖的。いわゆる“プロレスマスコミ”ではなかったスポーツ報知は門前払い状態だった。そこで門戸を開いてくれたのが三沢さんだった。控室であいさつすると、三冠王者は下ネタでわだかまりを消してくれた。

 酒の思い出は…。あれは「赤霧島」が世に出た時だから2003年10月。博多スターレーンでの興行後、福岡市内の居酒屋へ。主人は“幻の紫芋焼酎”「赤霧島」を先行入手して待っていた。今でこそ春秋の出荷をチェックしていれば数量限定で手に入るが、初出荷当時は、九州では大騒ぎになるほどのプレミアものだった。

 大事そうにちびちび飲んでいる三沢さんに、何度もグラスを差し出すと「そんなに飲みたかったら、全部飲んでいいよ。俺は日本酒にするから」と、にやけながらボトルごとくれた。水で割るのがもったいなくてロックでいただくと、すぐに空になった。にやける三沢さん。あきれる店主。その後、朝方までカラオケへ。当時、東京では無名だった博多華丸・大吉も一緒だったのが懐かしい。

 日テレジータスの追悼特番の最後に、三沢さんがこう言っていた。「何をやってもいいのがプロレスですし、どのスポーツ、格闘技とやっても勝つのがプロレスだと思ってるんですよ。そういうどこに出してもおかしくないスポーツにしたいと思ってます。プロレスというものをもっともっとメジャーにしたいと思ってます」どの団体にも共通する命題だろう。三沢さんの遺志を、ノアだけでなく、全団体で生かし続けてほしい。(酒井 隆之)

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