•  スポーツ報知のWebサイト限定コラムがスタートしました。最前線で取材する記者が、紙面では書き切れなかった裏話や、今話題となっている旬な出来事を深く掘り下げてお届けします。皆さんを「ほーっ!」とうならせるようなコラムを目指して日々配信しますので、どうぞお楽しみください。

東京ドーム30年で甦る88年、マイク・タイソン密着取材の思い出

2018年6月12日16時0分  スポーツ報知
  • 88年2月20日、初めてのパチンコ台に興味津々だったタイソン

 東京ドームがオープンしてから30年。今年もプロ野球やコンサートなどでにぎわっている。東京ドームというと、個人的には巨人、ポール・マッカートニー、ラマー・ハント、ジョー・モンタナ、新日本プロレス、そしてプロボクシングの統一世界ヘビー級タイトルマッチが思い浮かぶ。とりわけ、駆け出し記者時代の1988年、当時、世界最強と言われたチャンピオン、マイク・タイソン(米国)の、1か月以上に及ぶ取材は思い出深い。

 「早朝ロードワークには、まいったよな。暗くて、寒くて…」。先日、先輩の落合正カメラマンと、当時の話で盛り上がった。来日した2月17日の翌朝から早速、ロードワークを開始するという情報を聞きつけたからには、その瞬間を押さえない訳にはいかない。来日取材の原稿を書き終えると、そのまま寝ずに、宿舎となった都内ホテルの前で、世界王者が出てくるのを待った。この年の冬は結構寒さが厳しい日が多くて、3月になっても雪が降る日があったほど。張り込みをしていた時の気温は2~3度ほどで、担当記者は背中を丸めて、ズボンの裾を震わせていた。「ホテルから漏れてくる光がまぶしかったな」。落合カメラマンの言葉に、吐く息も白かったのを思い出した。ちなみに、その朝、タイソンは午前4時に起床し、部屋で体を動かした後、5時から走り始めた。東宮御所付近の約5キロを約20分で駆けた。

 タイソンは来日してから、しっかりとコンディションを整え、世界戦本番では、当時30歳の挑戦者、トニー・“TNT”・タッブス(米国)を2回2分54秒、KOで沈めた。ビッグエッグのオープニングイベントの一つとしても大成功で、多くのファンを喜ばせた。

 世界王者はオンオフの切り替えが絶妙だった。練習では休憩を取らず、メニューに集中。スパーリングでは連日、米国から連れてきた5人のパートナー相手に容赦なくパンチを打ち込んだ。スパーでダウン寸前という光景が何度も見られて、日本の関係者も目を丸くした。

 だが、トレーニングを離れると、練習の時の厳しい顔つきが一変した。年配のファンに優しい目で手を振ったり、子供のようにはしゃいだ時も。練習後には外出して気分転換。大相撲の高砂部屋を訪問して力士の大きな体に抱きついたり、動物園に行って、トラと“にらめっこ”を楽しんだ。「闘志をかきたてたんだよ」とスティーブ・ロット・サブマネジャーが教えてくれた。どこまで本気なのか、分からなかったが、王者は動物園を気に入ったようで、しばらくして、また訪れている。来日公演中のティナ・ターナーから招待を受けると、日本武道館に足を運んだ。

 タイソンに関する取材ノートや記事などを見ていたら、面白い写真を見つけた。落合さんが撮影した1枚。来日中に、なんとパチンコ店にひょっこり入って楽しんだ時のものだ。

 場所は東京・浅草。和やかな笑顔を見せながら、雷門から仲見世商店街を通って浅草寺を参拝した。その帰り道、多くの人に囲まれながら歩くのを、少し離れて後ろからついて行ったが、突如、視界から消えてしまった。確かに雷門を出て右に曲がったはずなのに…。慌てて追いかけたが、タイソンの姿が見えない。王者のすぐそばにいた落合カメラマンによると、パチンコ店を見つけるや、急に進路を変えて入店したという。漏れ聞こえる音楽と金属音に引き寄せられたのか、米国ではほとんど見かけない遊戯が珍しかったのか…。

 中に入ると、王者はもの珍しそうな顔をしてパチンコ台をのぞいていた。どんな台だったか忘れてしまったが、当時21歳の青年は、面白いものを見つけた子供のような笑顔で、台の前に座った。

 最初は勝手が分からず、1球1球、恐る恐る打って(ハンドルを回して)いたが、慣れてくると豊かな表情に戻って、声を出して笑ったり、驚いたり、難しい顔で盤面を見つめたり…。大きな当たりがなかなか来ず、20分ほどで席を立ったが、帰りの足取りは軽かった。1000円ほど負け、3分12ラウンドならぬ20分1ラウンドはさしずめ“判定負け”。

 「力が強すぎる。つまみ(ハンドル)に力が入りすぎている」。ノートに残っていた、パチンコ店の店員さんの、冷静な“ジャッジ”に思い出し笑いをして、落合さんに笑われた。(記者コラム・谷口隆俊)

コラム
今日のスポーツ報知(東京版)
報知ブログ(最新更新分)一覧へ