【藤波辰爾45周年ヒストリー】(4)入門から1年かかったデビュー戦

2017年2月17日15時0分  スポーツ報知
  • ファンの声援に応える藤波。デビューまでの道のりは長かった

 ついに日本プロレスへの入門を許された藤波辰爾。世田谷区若林に住む先輩レスラーの永源遥のアパートから道場へ通い、本格的な練習がスタートした。

 「練習はすべてが恐怖の連続だった。それまで人と取っ組み合いすらしたことなかったから、スパーリングもままならず、自分には相手が用意されなかった。ひたすらスクワット、腕立て伏せを繰り返した。バーベルも使い方を教えられながらやっていた」

 スクワットのノルマは500回。時には1000回、2000回を強いられた。

 「中学で陸上をやっていたから足腰には自信があったけど、まったく使う筋肉が違うから、練習が終わった後は、筋肉痛で歩き方がロボットみたいになった」

 合同練習後には、入門を直訴した北沢幹之から特別に指導を受けた。

 「北沢さんから“リングに上がれ”って言われて、投げてもらって、受け身の取り方を教えてもらった。今は格闘技を経験してレスラーになるのが多いけど、自分は、まったく知らないから、そんな初歩的なところから始まった」。

 年が明けた1971年。春には日本プロレスは代官山に地下1階、地上3階の道場とオフィスを兼ね備えた自社ビルを完成。道を隔てた所に5階建ての選手寮もが建設され、住まいも永源のアパートから寮へ移った。春が近づくと待望のデビュー戦へ兆しも出てきた。当時の日本プロレスは、中堅からメインイベントのマッチメイクを取締役兼レスラーだった吉村道明が担当。若手らが出場する前座3試合は、中堅レスラーで「若手頭」と呼ばれたミツ平井が組んでいた。

 「巡業中に平井さんから“リングシューズ持っているのか”とかリングに上がって“ちょっと受け身取ってみろ”って言われた。そんな様子を見ていた北沢さんから“もうすぐデビューが近いぞ”って耳打ちされた」

 その日は突然、やってきた。1971年5月9日、岐阜市民センター。会場に入るとミツ平井から「今日、試合だ」といきなり告げられた。中学時代から憧れていたプロレスラー。入門から約1年を経た待望のデビュー戦。リングに立った17歳の藤波は、思いも寄らない体験をした。(敬称略)

藤波辰爾45周年ヒストリー
  • 楽天SocialNewsに投稿!
その他
今日のスポーツ報知(東京版)
報知ブログ(最新更新分)一覧へ