古舘伊知郎アナ「プロレスのウィキペディアみたいな人だった」桜井康雄さん葬儀で偲ぶ

2017年4月16日17時20分  スポーツ報知
  • 桜井康雄さんの棺を運ぶ古舘伊知郎さん(左から3人目)と藤波辰爾(右端)

 昭和の新日本プロレス全盛期にテレビ朝日系「ワールドプロレスリング」で解説者として活躍し10日に80歳で亡くなった東京スポーツ元編集局長の桜井康雄さんの葬儀告別式が16日、神奈川県厚木市のJAあつぎ第2グリーンホールでしめやかに営まれた。

 式には、1980年代の新日本プロレス黄金期に解説の桜井さんと共に実況を務めた古舘伊知郎アナウンサー(62)が参列。出棺時には藤波辰爾(63)らと共に棺を運び、桜井さんとの別れを惜しんだ。古舘さんは、葬儀を終えた後にスポーツ報知の取材に応じ、桜井さんとの思い出を明かした。

 実況アナウンサーと名解説者というタッグで新日本プロレスを支えた2人。永遠の別れに古舘さんは「ただひたすらあの当時、育てていただいたことに感謝いたします。それのひとことに尽きます。それ以外は思いつかないです。本当にお世話になったんで」と感謝をささげた。

 思い出は数知れないという古舘さん。中継では新人時代に桜井さんの絶妙なフォローに助けられたという。

 「当時は、解説が遠藤幸吉さんと桜井さんの2人だったんです。山本小鉄さんは、まだ、そのだいぶ後だったんですが、遠藤さんは、古い方は知っていると思うんですけど、解説がめちゃくちゃな人でめちゃくちゃ面白いんです。本当にめちゃくちゃなんです。“さぁグラウンドの態勢に入りまして、リングのほぼ中央だ。さぁこの態勢から遠藤さん、こっからかなり受けている方はキツイヘッドロックの態勢に入りましたね”って言うと“いや、何の何の今、休んでいるだけ。もうちょっとしたら、起きあがると思います”とか言うんです。その横で桜井さんが絶妙にフォローしてくれてすべて面白く興味深く解説していただいたんですね。本当にプロレスのウィキペディアみたいな人だから、全部自分の引き出しの中からうまくまとめてくれてお世話になりました」

 中継を離れた思い出は、ニューヨークにあった。

 「言葉はあまりにも名調子だったんで、色々、あって一つあげろって言われてもあんまり思い出せないんですけど、思い出がいっぱいあって、よくニューヨクのマジソン・スクエア・ガーデンへ中継に行きましていつも桜井さんと一緒に行かせてもらってボクが22、23歳の新人アナウンサーのころですから、お金もそんなにない。ニューヨークもあの方事情通で何でもよく知っていて、高級ホテルの1階に天ぷらの稲ぎくっていうお店がありまして、そこに2人だけで連れて行ってもらってごちそうしてもらって“古舘君、あなたおしゃべり面白いからモノになるから、一生懸命にやった方がいいよ”って色々、アドバイスもらって、本当に染み渡るように、天つゆが染み渡るようにうれしくて。桜井さんのひとつひとつの言葉が。未だに忘れられないですね。あの当時、本当にお世話になりました」

 名勝負数え歌、維新軍団、一人ガリバー旅行記などの古舘節で実況の一時代を築いた古舘さん。その源流にあったのが桜井さんだったと言う。

 「桜井さんのフレーズが東スポに躍るわけです。例えば長州力の維新軍団もボクは自分が作ったように錯覚しているんだけども、よくよく考えると桜井さんが先に東スポでちらっと書いている感じがするんですよ。それを熟読しているうちに、自分が思いついたようにして、その次の週、中継の体育館の控室で書いたりしていたから、オレ結構、桜井さんからもらってんじゃないかなって。本当に名フレーズ作るのめちゃうまかったですからね。刺激を受けていろいろ自分で作らせてもらったのも桜井さんから盗んだのも。その当時は、もう何を盗んで何を自分で作ったのかわかんなくなってんるんですけどね。本当にそんな感じでした。桜井さんのおかげです」

 アントニオ猪木がハルク・ホーガンに失神KO負けした1983年6月2日、蔵前国技館でのIWGP優勝戦。大きなハプニングが起きた時も桜井さんの解説に助けられたという。

 「桜井さんが間の天才だから、その間ですーっとゆっくりしゃべってくれた。そのおかげで猛り狂っている私がちょっと沈静化して、もう一度、頭の中でコメント練り直してまたしゃべり出すんです。本当に桜井さんの解説があったればこそ自分の過激実況だったなとつくづく思いますね」

 桜井さんが残した功績をこう表現した。

 「名フレーズもあるし、当時、旧日本プロレスから新日本プロレス、全日本プロレスができて国際プロレスもありましたけど、そういう今で言えば乱立しているプロレス団体の始まりですよね。ひとつしかなかった日本プロレスが分派していったあの激動の時代に桜井さんが本当に新日本に関しては盛り上げたおかげで第2期黄金期といわれる新日本プロレスはうまくいったと思う。それは大変な功績なんじゃないですか。また、ペンネームもお持ちで作家でもありましたから、昭和の激闘史とか東スポで連載してあそこでずいぶん、後のアナウンサーやプロレスの記者の人は学んだんじゃないですか。生き字引でしたから」

 今の古舘さんの中に桜井さんのイズムは残っているのだろうか。

「やっぱりベースですから、意識せずともそれはあります。この60歳を過ぎますとね、自分の中の桜井さんがあって、ただただ若い時みたいにしゃべるだけじゃなくて、合間合間でちょっと落とすとか、そういうことも考えてみると、そのチェンジオブペースも桜井さんの解説込みで入っている感じはしますよね。そういうのっては、若い時の感受性で入ったら抜けないですよね。深層心理で入ってます」

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