篠原信一氏が語る、日大アメフト部の危険タックル問題に見えた選手と監督・コーチの異常な関係

スポーツ報知
篠原信一氏

 世間を騒がせている日大アメフト部の危険タックル問題について考えてみました。この問題についてはよく周りの方から『篠原さん、同じスポーツ界に携わる立場の人間として、どう思いますか』と聞かれます。

 一言で言えば、『大学スポーツ界最大のスキャンダル』ですよ。スポーツの範疇を超えてますね。実名と顔を出して会見した選手の話もテレビで見ましたが、思うところは沢山あります。

 選手は勇気を出して会見したことは評価しますが、ただ、なぜ、勇気を出して監督・コーチの指示を拒否しなかったのかと残念でなりません。本人も後悔していたからこその会見だったこととは思いますが。犯した行為は絶対に許されません。ただ、罪を憎んで人は憎まずという気持ちになったのは私だけではないかなと思います。

 こうなると、自身の保身しか見てないのではないかと思えてしまう、日大の監督、コーチは『指導者』を名乗ったらアカンと思いましたね。特にコーチは単なる監督の使い走り、ただの伝書鳩のようにしか見えない。そして監督1人に権力が集中した異常な状態と感じたと思ったのは私だけじゃないでしょう。『監督・コーチが正直に話さないかんやろ! 自己保身をするんじゃなく選手を守れ!』と。指導者が最も守るべき『プレーヤーズ・ファースト』の精神はどこへいったんや! という気持ちになりましたね。日大アメフト部だけの問題と思われてるかも知れませんが、スポーツが持つ勝利の意味、価値、意義がすべてを吹っばす大問題だと思いますよ。

 勝つためには何でもしてもいいという考え方はすべてのスポーツを踏みにじる行為です。スポーツの意義、価値を理解し、自ら判断させるような指導をするのが、本当の指導者ではないのでしょうか。

 柔道に限らずスポーツにはルールがあります。このルールのもと、選手は競技を行わなければならないことぐらいは、だれでも知っていることですよね? 指導者でもある私もフェアプレー精神の大切さは教える際にはしっかり説明します。では、フェアプレーとは何なのでしょうか。

 〈1〉ルールを理解し、規定を守る。ルールとは規範でもあり、その規範は2つあると私は思います。1つは法的規範(反則を犯したらペナルティーが与えられる)、もう1つは試合態度、つまりマナー、エチケット(道徳的規範)です。この意味を理解しないところにフェアプレーの精神はありえないと思います。

 〈2〉審判(レフェリー)は選手に対して公正、平等であること。

 〈3〉審判に敬意を払う

 〈4〉相手に敬意を払う。もちろん、相手にケガをさせないことも含みます。

 これらを守ることがフェアプレー精神なんです。スポーツ以外の日常生活でも当たり前の精神のことです。

 立場ある側の人間が『相手の選手の潰してこい』という指示を受けたと加害選手は言ってましたが、常態化していたなら、この監督は完全にアウトですよ。加害選手が危険タックルをした後にベンチに戻ってきた際の映像を見ると、他の選手も誰一人として気にもかけていない。これは完全に感覚が麻痺してるなと思いましたね。「潰してこい」、つまり「けがさせてこい」という異常な指導、いや、そんな理不尽な行為を強要されても断らないのだから。

 対応があまりにも遅い、日大の危機管理にもすごい違和感を感じました。

 柔道界でも2013年に暴力問題がありました。女子強化選手が監督、コーチに指導の際に体罰を受けたと訴え、柔道界も多くの非難を受けた問題です。全柔連執行部からの指導で、当時の女子代表監督が体罰を受けた選手に謝罪しました。もちろん当事者同士だけの問題ではなくなり、その後の助成金の不正使用問題などで柔道界は混迷を深めました。ガバナンス(組織内統制)を見直し、どうすれば再発を防げるのかもみんなで考え、1日も早い正常化に向け、そして失いかけた柔道への信頼を取り戻そうと私を含め、競技に携わるだれもが必死になりました。男子代表監督だった私は矢面には立たされませんでしたが、やはり危機感は感じましたね。

 似たような境遇に置かれていた柔道界からの助言ではありませんが、日大は対応が遅ければ遅いほど失う信頼も大きくなっていくでしょうね。

 ◆篠原信一(しのはら・しんいち)1973年1月23日、神戸市出身。45歳。中学1年で柔道を始め、育英高、天理大を経て旭化成に入社。98~00年まで全日本選手権3連覇。99年世界選手権で2階級(100キロ超級、無差別級)制覇。2000年シドニー五輪100キロ超級銀メダル。03年に引退。08年に男子日本代表監督に就任し、12年ロンドン五輪で金メダル0の責任を取る形で辞任。

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