【篠原信一の柔道一本】上村春樹、小川直也、吉田秀彦ら大スターだらけの明大は…昼も夜もハッスル、ハッスル!? シリーズ「柔道名門大学巡り その3 ~明治大学編~」

スポーツ報知
講道館館長の上村春樹大先輩(左)も明大柔道部の出身です!

 明治大学柔道部は明治38(1905)年に創部されました。学生柔道の創生期には、私の出身、天理大学とともに学生柔道をリードしてきました。学生柔道界では歴史と伝統が一番ある大学ですね。いまだ少数精鋭で学生柔道界の上位に君臨する実力のある柔道部です。曽根康治、神永昭夫、上村春樹、吉田秀彦、小川直也、海老沼匡ら多くの五輪、世界チャンピオンを輩出しています。現在の主将は4年生の小川雄勢選手。直也さんのご子息ですね。今夏の世界選手権では100キロ超級の日本代表として期待がかかっております。

 【特色】明大も天理大と同じようにしっかり組んで1本を取りに行く柔道をします。あの「ハッスル! ハッスル!」でおなじみの小川直也先輩もしっかり組む柔道をハッスルされておりました。昔の道場は本当に小さく「コ」の字型の道場で、とにかく練習中も緊張感が漂っていました。先輩から聞いた話ですが、一人で出稽古に行くと、明大の選手が次から次へと稽古相手に出てきて、それはもうフラフラになったそうです。

 特に私が尊敬している講道館館長の上村春樹先生が監督を務めている時(1984年~1990年)は、本当に怖くて出稽古に行きたくなかったと聞いています。私の知っている上村先生は、いつも優しく、丁寧でジェントルマンなんですけど。

 【稽古】明大は以前「鍵穴道場」といわれる鍵穴のような形をしたビルの一角が道場でした。私も現役の時によく出稽古に行かせてもらいましたが、本当に厳しく激しく稽古をしてました。当時は道場が鍵穴のような作りでしたし、道場も狭かったので皆が練習できるように稽古時間も長かったですね! 立技だけで3時間は当たり前でしたから!

 次から次と学生がかかってきて本当に内容のある稽古をさせて頂きました。

 篠原の心の声「ハッスルしすぎやでぇ~(汗) も~明治には行かんとこ~と(汗汗&笑) 練習いつ終わるんや!」

 そんな中、強くなりたいと思っている選手は休みもせず永遠かい! 気が遠くほど稽古をしておりました!

 小川先輩もそうですし、吉田先輩もそうでした。本当によく稽古されてました。

 【吉田先輩、ハンパないって!】

 あれだけ稽古してクタクタになっていても、夜になると復活するハンパない方がおりました。はい。吉田先輩、あなたです! 私、篠原信一、尊敬の想いを抱いておりました。

 ▼篠原が妄想した吉田先輩とのやりとり。

 篠原「先輩! お疲れ様でした。篠原はもうクタクタですが、寝ようとしても疲れすぎて…。『寝よう、寝よう、寝よう』と口に何度出しても寝付けません。なぜに先輩はそんなに元気なんですか!?」

 吉田先輩「寝よう、寝ようと発するなかれ。寝よう、寝よん、ネオン…と。ネオンでハッスルしなさい」

 篠原「私 微力ながらおともさせていただきます[ハート]」

 吉田先輩、こくりとうなづく。夜のとばりがおりるたびに、思い出しますね、古いアルバムの中に隠れて思い出がいっぱい、と。篠原の心の中のはるかなメモリーでした…。

 【猿渡琢海監督を直撃取材】

 では、今の明大柔道部はどうなのでしょうか。そういえば2012年に就任した猿渡監督とは現役時代によく稽古して試合もよく当たっていたなぁ。指導ぶりをちょっと猿渡監督に聞いてみよ~! (明大道場のドアを)トン、トン、トン。ガラリ。

 篠原「ども! 毎度ぉ~」

 猿渡監督「新聞なら間に合ってますよ!」

 篠原「………。いや、違います」

 猿渡監督「どのようなご用件で?」

 篠原「かくかくしかじかなわけで…」

 猿渡監督「ふむふむ」

 篠原「監督! 明治大学柔道部の特色は?」

 猿渡監督「2020年、東京五輪の年に明大柔道部は創部115年を迎えるんですよ。戦後の明大柔道部が復活へ向け始動したのは、まだアメリカ占領軍が日本を統治していた昭和21年(1946年)11月でありました。その年の5月にシンガポールから復員し、復学した古賀愛人が復活に向け歩き出しました(中略)多くのオリンピックメダリスト、世界チャンピオンなどを輩出してきた実績に加え、学生柔道界においても古くから学生優勝大会優勝……」

 篠原「……(汗)」

 篠原の心の声「あのですね。監督、え~と、そのぉ、お話は長いんですか……汗」

 篠原「で、今の指導方法は?」

 猿渡監督「学生の強化・育成については伝統的な指導方法を踏襲しながらやってます。フィジカルやメンタルしかり、それらを取り入れて現在の柔道に対応するための強化にも取り組んでますよ」

 篠原「ルールも変わりましたが、どんな対策を」

 猿渡監督「ルール改正で取り組む柔道も大きく変わったので、明大伝統の柔道、世界を制してきた技やテクニックを丁寧に指導するとともに柔道の基本である、きちんと組んで相手を投げる明大スタイルの柔道を行っていきますよ」

 篠原「現役時代の猿渡ではないですね(笑) ていうか!真面目か!」

 猿渡監督「篠原先輩とは違いますよ!」

 篠原「何かおもろいエピソードってないの?」

 猿渡監督「私が高校生の時、天理大学に出稽古に行ったときに、先輩にガンガン投げられて天理大学には行かないと思ったことは覚えています」

 篠原「またまた~。仏の篠原だったのに~」

 猿渡監督「………」

 篠原の心の声「おもろいエピって俺の話かい…。だったら他にもいい話はいくらでもあるやろ~! え? ありませんか…(涙)」

 現在は大学の旧教室を改装して道場にされていますが、狭いことには変わりありません。しかし、その狭い空間で、ひりひりと緊張感のある稽古が毎日、ハッスル、ハッスル行われているのであります!

 ◆篠原信一(しのはら・しんいち)1973年1月23日、神戸市出身。45歳。中学1年で柔道を始め、育英高、天理大を経て旭化成に入社。98~00年まで全日本選手権3連覇。99年世界選手権で2階級(100キロ超級、無差別級)制覇。2000年シドニー五輪100キロ超級銀メダル。03年に引退。08年に男子日本代表監督に就任し、12年ロンドン五輪で金メダル0の責任を取る形で辞任。

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