元幕内・北太樹、亡き北の湖親方が大切にしていた「小野川」襲名し相撲界に恩返し誓う

スポーツ報知
稀勢の里(右)ははさみを入れた小野川親方の肩に手を置いてねぎらう

 今年初場所前に大相撲の元幕内・北太樹(35)=山響=の断髪式と年寄「小野川」襲名披露パーティーが3日、東京・両国国技館で行われ、先代師匠の故・北の湖親方(元横綱)夫人の小畑とみ子さんら関係者が出席。断髪式では約300人がはさみを入れ、最後に師匠の山響親方(元幕内・巌雄)が大銀杏(おおいちょう)を切り落とした。

 止めばさみを入れてもらう直前、先代師匠が急逝した15年九州場所千秋楽に佐田ノ富士(境川)を寄り切りで下した一番の再現実況が流れると大粒の涙をこぼした。30年続いた北の湖部屋最後の取組を白星で飾った。「現役中、節目になった一番。あのとき寂しくもあり、これから頑張ろうという気持ちで相撲をとった」と振り返った。

 1998年春場所で初土俵。先代師匠から「相撲は私が教える。走って鍛えておきなさい」と小学校時代はサッカーで足腰を鍛えた。相撲未経験で入門。序二段だった99年夏場所は6連勝から最後の一番に敗れて優勝を逃し号泣。当時兄弟子だった山響親方から、「悔しいか。もっと稽古すれば強くなる」と助言され一日1000回の腕立て伏せを自らに課して番付を上げた。故・北の湖親方からは「徹底した四股で下半身を、山響親方には上半身を鍛えられた」が口癖。左差しからの速攻を武器に真摯(しんし)な土俵で20年間も現役を務めた。

 山響親方は、「相撲に対する執念には頭が下がる。小野川の名跡は先代とおかみさんが大切にしていたもの。本来なら横綱、大関が名のるべきものを迷いなく継承させていただいた」と本人に代わり感謝の言葉。故・北の湖親方のとみ子夫人は、「小野川は親方が生前、『北太樹が襲名する』と話していました。この日が来て感無量です」と息子同然と語る親方の門出を喜び、得意の民謡「武田節」も披露した。

 この日は親交の深い横綱・稀勢の里(田子ノ浦)も断髪式に出席。「相撲に対して真面目でお手本になる方」と話し、「学んだ所は?」と問われると、「お酒の飲み方かな」とも付け加えた。

 小野川親方は、「15歳から育てていただいて、色んなことを思い返すとうるっとしてしまいます。これからは基礎を大事に本場所の一番に熱い思いを懸ける力士を育てていきたい」と指導者として相撲界に恩返しすることを誓っていた。

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