若貴兄弟と東京五輪パラリンピックへ…史上初の外国出身横綱・曙<5>

スポーツ報知
元貴乃花親方が表紙になった「スポーツ報知 大相撲ジャーナル」を持つ入院中の曙

 史上初の外国出身横綱として大相撲の歴史を変えた第64代横綱・曙太郎(49)。平成の初頭、若花田(のちの横綱・3代目若乃花)、貴花田(同横綱・貴乃花)の若貴兄弟フィーバーで大相撲は空前のブームに沸いたが、その渦中でひとり横綱を11場所務めたのがハワイ出身の曙だった。2017年4月に急性心不全を患い、現在、入院生活を余儀なくされている。記憶障害という後遺症に悩みながらも、横綱時代は忘れていなかった。曙とともに記憶をたどりながら「あの時」に迫る。

 1997年夏場所千秋楽に、曙は1差で追っていた貴乃花を本割、優勝決定戦で連破し、13場所ぶりの復活優勝を決めた。だが、続く名古屋場所の番付が発表された時、部屋をのぞくと肩を落とした曙がいた。番付発表で一喜一憂しない不動の地位が横綱だが「何で優勝したのに、東の正横綱じゃないの。ショックだよ」とこっそり打ち明けた。

 翌98年2月7日に行われる長野冬季五輪の開会式で、東の正横綱が横綱土俵入りをすることが発表されていたからだ。この番付は決して“差別”ではなかった。夏場所の本割は東横綱の貴乃花と西横綱の曙が優勝同点。当時の番付編成のルールでは、優勝決定戦は加味されなかったのだ。

 これがきっかけで9月に規約が改正されることになるが、曙はその後、優勝することができず、西横綱のまま五輪直前の初場所に。だがこの場所の13日目に、貴乃花は急性上気道炎、肝機能障害のため休場。巡り巡って、曙が長野五輪組織委員会(NAOC)から最終指名された。貴乃花の体調を気遣いながら、うれしさを隠せない。「寒さ対策? 横綱になって初めて明治神宮でやったときも雪が降ってたから。寒くないと思ったら寒くない」

 新設された長野オリンピックスタジアムは5万人の大観衆で埋まった。世界各地で30億人が見守る中、土俵を模した大舞台に太刀持ち・北勝鬨、露払い・寺尾を従えて上がった。「ヨイショ!」のかけ声に乗ってシコを踏み、豪壮な雲竜型を披露。相撲には不利と言われた足の長さは、せり上がりの高低を生み、厳かな神事を際立たせた。

 2020年夏に、日本にまたオリンピックがやって来る。長野五輪から20年。同期の3人の横綱は、若乃花、曙、貴乃花の順に現役を引退し、くしくも同じ順番に相撲協会を退職した。病床の曙を見舞った元若乃花の花田虎上(タレント)は「いろんなことを言って昔を思い出させようとした。話しているだけで疲れるみたいで、汗びっしょりだった。リハビリはきついと思うけど、家族に囲まれている曙は幸せそうだった」と話した。9月25日の元貴乃花の退職会見を病室のテレビで見守った曙は、ひと言「かわいそう」と絞り出した。「東京オリンピック、パラリンピックのお役に立ちたい。若乃花さん、貴乃花さんと一緒に仕事がしたい」。リハビリに臨む曙の目が輝きを増した。=終わり、敬称略=(酒井 隆之)

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