高木美帆、チョコ断ちでつかんだ銀メダル

スポーツ報知

◆平昌五輪第4日▽スピードスケート女子1500メートル(12日・江陵オーバル)

 スピードスケート女子1500メートルで快挙の銀メダルを獲得した高木美帆(23)は、幼い頃から多彩な才能に恵まれた少女だった。8年前の10年バンクーバー五輪はスピードスケート史上最年少の「スーパー中学生」として五輪に初出場したが、1000メートルは完走できなかった1人を除いて35位、1500メートルは23位に終わった。

 北海道幕別町出身で3きょうだいの末っ子。スケートは5歳で始めたが、屋外のリンクが嫌いだった。スケートをしたくない理由で中学まではサッカー、ヒップホップダンスを始めるが、ここでも才能が光った。小学2年で姉に連れられ始めたサッカーは中学時代、男子からFWのレギュラーを奪う点取り屋で、15歳以下女子日本代表候補合宿にも呼ばれた。走るのも速く、ヒップホップダンスにも夢中になった。

 サッカーやダンスで培った重心移動のセンスは、コーナーワークでの微妙な体重移動にも生かされている。滑走中の歩幅は男子なみで、特に長い距離になるほど後半に力を発揮するスケートに磨きがかかった。前回の14年ソチ五輪は伸び悩んだ末に代表落ちし、自分の練習内容を見直した。

 今季絶好調の要因はこの8年で周囲が驚くほど体が絞られたこと。きっかけは高校生の時、バンクーバー五輪男子500メートル銀メダリストの長島圭一郎さん(35)から「太いね」と言われたことだ。中学、高校ごろまではチョコなどの甘いものが大好物だったが、揚げ物を控え、甘いものも我慢するうちにあまり欲しない体に変わっていった。「あの一言で変われた。感謝しかない」兄大輔さん(27)も「食生活ががらっと変わり、同時に結果も変わった。動きも軽いし、滑りも大きくなった」と妹の成長を認める。

 転機が訪れたのは、ナショナルチームが誕生してからだ。ソチ五輪でのメダル0個に危機感を抱いた日本スケート連盟が初めて実業団や学生の垣根を越えたチームを創設。オランダ人コーチを招聘(しょうへい)し、国内外の遠征、合宿など300日間寝食をともにした。

 女子の個人種目では初、1992年アルベールビル五輪女子1500メートル銅メダリストの橋本聖子会長はオランダ人コーチの指導で躍進した高木美について、以前に「もともと日本人は練習量が豊富。いい指導者が来たら一気に開花するとは思っていた。いきなり強くなったとよく言われるが、強くなるものを持っていたから強くなった。素質、素材はあった。それを引き出してくれる人が来たということだろう。高木美帆らは年齢的にもまだ伸びしろはある」と語っていた。また、「もともと素晴らしいメンタルを持っているが、責任感を持てるようになったように感じる。自分が中心になっていかないといけないという自覚を持ちながら、それをプレッシャーに感じていない。ソチに出られなかったことが、人間的な幅の広さにつながっている」と期待を寄せていた。

  ◆高木 美帆(たかぎ・みほ)1994年5月22日、北海道・中川郡幕別町生まれ。23歳。兄、姉の影響で5歳からスケート、小2からサッカーを始める。スピードスケート史上最年少での五輪代表となる15歳で出場したバンクーバー五輪は1000メートルで35位、1500メートル23位。13年に帯広南商から日体大に進学。17年3月に卒業し助手に。164センチ。家族は両親と兄、姉。姉の菜那(25)も今大会に出場。

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