羽生結弦が「一番、影響を受けた先生」が教え子にエール「自分のために頑張って」

スポーツ報知
校内に飾られた羽生の写真の前でエールを送った高橋さん

 フィギュアスケート男子は16日にショートプログラム(SP)、17日にフリーが行われる。2014年ソチ五輪王者の羽生結弦(23)=ANA、仙台市出身=は66年ぶりの同種目連覇を目指す。東北高校1年時の担任だった高橋敏之教諭(46)は、羽生が高校時代に「影響を受けた」と名前を挙げていた恩師だ。右足首の靱帯(じんたい)損傷から復活を目指す教え子に「自分のために演じることで、みんなが喜ぶ」とエールを送った。

 2014年のソチ五輪で羽生が男子フィギュアで金メダルを獲得する約1年半前。“高校生の羽生の声”が掲載された13年度の東北高学校案内に「一番、影響を受けた先生」として名前を挙げたのが1年時に担任だった高橋さんだ。当時を振り返り「素直でまじめで本当に手がかからない。一度決めたことは絶対に曲げない子でした。特別扱いせずに接してきたので(入学案内を)見たときはびっくりしました」という。

 影響を受けた言葉。それは高橋さんが「強いて言えば注意した」というものだ。

 羽生「大きな大会の後に風邪を引いて休みがちだった僕に先生は『学校に来ることとスケートをすることは、直接関係はないけれど、学校に来ることを通して精神力を鍛えることができる』と言いました。たとえ試合で疲れていても、なんとか頑張って1日登校すれば、2日目も来られるようになる、体が弱るのはつまり気のゆるみなのだということ。僕は3年生になった今もその言葉を胸に頑張っています」(原文抜粋)

 高校1年の頃から遠征はあったが、2、3年時に比べると学校に来られる時間は多かった。クラスの仲間とも分け隔てなく接し、高橋さんが担当する体育では「フィギュアでもジャンプを追求していたせいか分かりませんが、バレーボールやバドミントンは上手だった。ほかにも適応する能力は高かった」という。ただ、ぜんそくの持病もあり、大会の翌日などに風邪をこじらすこともあった。その中で高橋さんの頭に浮かんだのは同僚から聞いた同校OGで元女子プロゴルフ世界ランキング1位の宮里藍さん(32)だ。

 高校3年でプロ転向する前からツアーを転戦していたが「日曜の夕方まで大会があっても、必ず月曜の朝には登校していたと聞いた。大会には特別欠席を使って参加している。やりたいことをしているなら、やるべきこともしないと一流の選手になれない」。羽生や両親にも両立の大切さを伝え、その後は大会翌日も学校に来るようになった。

 昨年11月に右足首の靱帯を損傷。懸命のリハビリと調整を経て、男子フィギュア66年ぶりの五輪連覇の舞台に挑む。「まずは、多くのことを背負わず、自分のためにやりたいことを頑張ってほしい。それを出せれば、みんなは喜んでくれると思いますから」。教え子が再び華麗に舞うことを静かに見守る。

 ◆羽生 結弦(はにゅう・ゆづる)1994年12月7日、仙台市生まれ。23歳。ANA所属。4歳から競技を始め、七北田中で10年世界ジュニア優勝。東北高に進学し、12年世界選手権銅メダル。14、17年同金メダル。全日本選手権12~15年4連覇。グランプリファイナル13~16年4連覇。14年ソチ五輪金メダル。172センチ、57キロ。家族は両親と姉。

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