「氷上のこじはる」アイホGK藤本那のスパルタ父、6位健闘に「よく頑張った」

スポーツ報知
スマイルジャパンの正GKとして6位入賞に貢献した藤本那

 ◆平昌五輪第12日 ▽アイスホッケー女子5、6位決定戦 日本0―1スイス(20日、関東ホッケーセンター)

 アイスホッケー女子日本代表「スマイルジャパン」は20日、5、6位決定戦でスイスと対戦し、0―1で敗れ、6位で大会を終えた。正GK・藤本那菜(28)=札幌ボルテックス=の父・絢士(けんじ)さん(53)は札幌市内の自宅でテレビ観戦。五輪初勝利を含む2勝を挙げた健闘をねぎらい、スポーツ報知に手記を寄せた。幼少期は厳しく指導し、藤本那は日本の守護神に成長。競技を始めたきっかけやソチ五輪後の心境の変化を明かした。

 那菜は、小さい時は運動神経が良いとは言えず、おままごとや塗り絵が好きな女の子でした。小学1年の時、私がアイスホッケーを始めたのをきっかけに競技をやらせました。かわいそうだけど、親が無理やり連れて行く感じで、それも週に2、3回。憂鬱(ゆううつ)なんてものじゃなかったはず。

 小学5年の時、チームにGKがいなくなり、やらせてみた。FWもDFもやったけどダメで、GKもダメなら辞めさせようかと思っていた。私もGKだったこともあり、練習はずっとマンツーマンで指導しました。練習や試合の帰りの車内はいつも説教部屋。罵声を浴びせ、ポジションの悪さとかを一から教え込みました。「ホッケーノート」を毎日書かせ、言ったことをファイルして持たせました。ずっと泣いていたけど、これも本人のため。うまくなってほしかった。高校1年の時には自宅にプレハブを作り、ゴールを2つ設置して守備練習を繰り返しました。パックは自宅に1000個くらいあるんじゃないかな。

 那菜に変化が出てきたのはソチ五輪から帰国後。競技に取り組む姿勢が積極的になりました。ソチでの全敗が悔しかったのだと思う。自分で車を運転し、(自宅がある)札幌から苫小牧まで練習に行っていたのは驚きました。以前は防具も全部私が買い与えていましたが、100万円近くする一式を全部自分で買い替えました。今は数センチ単位でこだわる。「メダルが欲しくなった」と言っていたのは印象的でしたね。

 辞めてしまえばそれまでだったが、よく続けてやってきた。アイスホッケーが嫌いだった子がやる気を出して、日本代表のポジションを勝ち取った。そこは褒めてあげたい。ただ1度も完封の試合がなく、本人は悔しいと思う。まだまだ伸びしろはあると思うので、親としては4年後の北京も目指して欲しいです。とりあえず、よく頑張った。今は、お疲れさまと言いたい。

 ◆藤本 那菜(ふじもと・なな)1989年3月3日、札幌市生まれ。28歳。札幌月寒小1年の時に競技を始める。小5からGK。札幌大谷高2年で日本代表に初選出。元AKB48の小嶋陽菜に似ていることから「氷上のこじはる」と呼ばれることも。14年ソチ五輪代表。163センチ、54キロ。家族は両親と妹。

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