宮原知子「やりきった」自己ベスト4位…4年後また戻ってきてメダルを

スポーツ報知
演技する宮原知子

◆平昌五輪第15日 ▽フィギュアスケート女子フリー(23日、江陵アイスアリーナ)

 フィギュアスケート女子フリーは23日に行われ、ショートプログラム(SP)4位の宮原知子(19)=関大=がフリー146・44点、合計222・38点の自己ベストをマークし4位だった。坂本花織(17)=シスメックス=は209・71点で6位。SP首位の15歳アリーナ・ザギトワが239・57点で、今大会OAR(ロシアからの五輪選手)初の金メダルを獲得した。世界選手権2連覇中で238・26点のエフゲニア・メドベージェワ(18)との五輪史に残る戦いを制した。

 ノーミスの演技に、宮原史上最高のガッツポーズが飛び出した。「やれることはやりきった。ここまできたらメダルが欲しい!」。SP、フリーと自己ベストを並べ、世界歴代6位の222・38点をたたき出すも、後続4人目に滑ったオズモンドが見事な演技で“自己ベスト返し”。表彰台には届かなかったが、表情はすがすがしかった。

 「やっぱり勝つにはもう一歩だなって。悔しい気持ちもあるけど、もっと頑張るしかない。4年後また五輪に戻って来て、今度こそメダルを取りたいという思いは強くなった」

 浜田美栄コーチに送り出され、最終組のトップでリンクに出た。「この会場を知子の色に染めなさい」。他にはまねできない宮原ならではの繊細な所作と滑りで「蝶々夫人」の世界に観客を引き込んだ。回転不足が課題だったルッツ―トウループの連続3回転は1点の出来栄え点を引き出し、練習で転倒が目立った3回転サルコーも成功させた。記憶に刻まれる名演。支えたのは自分を信じる強さだった。

 努力の天才だ。151センチの小さな体に宿る強い心でここまできた。父親の仕事の都合で4歳から米国で暮らし、7歳で帰国。当時、宮原はバッジテストの初級、1級に苦戦するほどだった。滑りながら3拍子や4拍子のリズムが取れない。氷を蹴って体を氷と平行にしてから回るバタフライキャメルスピンの習得には4年、爪先を外側に開いて滑るイーグルは10年かかった。

 ジャンプはまっすぐ上へ上がれなかった。自動販売機の横に立ち、まっすぐ跳ぶ練習を繰り返したが、体当たりの連続。「わざとぶつかっていたわけじゃないんですけど(笑い)。まっすぐ跳ぶという感覚が分からなかった」。小学2、3年で2回転ジャンプができるようになった頃にようやく理解できた。時間がかかる分、一度習得すれば失敗は少ない。

 昨年1月に判明した左股関節の疲労骨折を乗り越えたどり着いた夢舞台は、これまでのどんな大会よりも格別だった。「想像以上に夢の世界だった。思う存分楽しめた」。浜田コーチが「秘策はある。しっかり体づくりをして、もう一回挑戦したい」と見据えた4年後へ、変わらずにコツコツと、努力を積み重ねていく。(高木 恵)

 ◆宮原 知子(みやはら・さとこ)1998年3月26日、京都府生まれ。19歳。11、12年全日本ジュニア優勝。中学3年生だった12年の全日本選手権で3位に入り注目された。15年世界選手権銀メダル。GPファイナルは15、16年ともに2位。16年2月の四大陸選手権で主要国際大会初優勝。全日本選手権は14年から4連覇中。151センチ。

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