【高木記者が見た平昌五輪】勇気をくれた羽生の連覇 重圧は弱さじゃなく強さになる

スポーツ報知
エキシビション終了後、出演者らで記念撮影した時にリフトされ、笑顔の羽生(カメラ・酒井 悠一)

 第23回冬季五輪平昌大会は25日、韓国の平昌オリンピックスタジアムで閉会式が行われ、17日間燃え続けた聖火が消された。7競技102種目で熱戦が繰り広げられた冬のスポーツの祭典は終了。日本選手団は金4、銀5、銅4で冬季五輪史上最多の13個のメダルを獲得し、2020年東京五輪へ勢いをつけた。スピードスケート女子500メートル金メダルの小平奈緒(31)=相沢病院=が旗手を務め、フィギュアスケート男子金メダルの羽生結弦(23)=ANA=らが笑顔で行進した。

 揺れる日の丸と、宙を舞うプーさん。雄たけびを上げる羽生結弦。目の前の景色はスローだった。冷静になろうとすればするほど、人間の体はパニックを起こす。感動の余韻に浸りたかったが、そうはいかない。聞かなければいけないこと、聞きたいことを頭の中で整理しながらミックスゾーンへ走った。

 2月11日、仁川空港。3か月ぶりに羽生を見た。「自分に嘘(うそ)をつかないのであれば、2連覇したいというふうには思っている。ただ、それだけが目的ではない」。珍しい言い回しに多少の不安を覚えたが、余計なお世話だったことを思い知った。SPまでの5日間で、見事なまでに体と心を整えていった。

 12日は1回転中心の15分の練習を、最後は3回転半で締めた。13日にはついに4回転を跳んだ。練習内容はもちろん、発言も日を追うごとに「らしさ」が戻っていった。「何も不安要素はない」。日本の金メダル1号について質問がとぶと、「誰が取ろうが僕も取る」。来たぞ来たぞ、と。羽生の取材をしていると、突き刺さるようなキラーコメントに遭遇する率が極めて高い。

 4か月ぶりの実戦が五輪。そんなネガティブな材料も、最終組の6人がリンクに現れた瞬間、吹き飛んだ。集中力、全身から発するオーラは既に他を圧倒していた。「僕は五輪を知っている」と不適に笑ったSPの完璧な演技に、腰を抜かしそうになった。歯を食いしばるように滑り抜いたフリーに執念を見た。

 不安にとらわれながらも、自信のピースを探り集める。そして自らにプレッシャーをかけることを恐れない。「多分それがあるから、こうやって強くなれている。人以上にプレッシャーをかけているから。それがうまく作用して解き放たれた時の強さっていうのは、絶対弱みじゃなくて強さ」。1月に氷上練習を再開した。最初は1回転ジャンプしか跳べなかった。それでもANAスケート部の城田憲子監督に言った。「僕はどんなことがあってもやる。どんなことがあっても勝つ」。逆境下においても、有言実行をやめなかった。

 4連覇した16年のGPファイナルでは、フリーでジャンプのミスが続いた。「勝っただけの大会だった」と、悔しさをあらわにした。「誰にも追随されない羽生結弦」を自らに課し、内容、勝ち方にまでこだわってきた。今回は4回転ループを回避し、勝つことに集中した。痛み止めを飲みながら、4回転を4本跳んだ。「何より『勝ちたい』だった。勝たないと意味がない。この試合は特に」。4年に一度の戦いに全てを懸け、五輪史上に残るドラマを作り上げた。

 日本選手団は98年長野五輪の10個を上回る冬季五輪最多の13個のメダルを獲得し、20年の東京五輪へタスキをつないだ。想像もできないほどの苦難を乗り越えつかんだ羽生の連覇は、多くの人を勇気づけた。同じく勝負の世界で生きるアスリートたちの、戦う覚悟を呼び覚ました。平昌から東京へ。アスリートの魂は、引き継がれた。(五輪担当キャップ、フィギュアスケート担当・高木 恵)

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