羽生結弦の恩返し 被災地に、スケート界に…冬季五輪金メダリスト初の国民栄誉賞 

スポーツ報知
4月、冬季五輪2連覇達成のパレードで、沿道に集まった大勢の人たちに笑顔で手を振る羽生

 フィギュアスケート男子で66年ぶりの連覇を達成した羽生結弦(23)=ANA=に対し、安倍晋三首相は1日、国民栄誉賞を授与することを決めた。個人としては最年少の受賞で、スケート界、及び冬季五輪の金メダリストとしても初めて。羽生は日本スケート連盟を通じて「身に余る光栄。この賞が被災地やスケート界にとって明るい光になることを願っております」とのコメントを発表した。授与式は7月2日に官邸で行う。

 スケート界の歴史を塗り替えてきた男に、新たな勲章が加わった。23歳での個人最年少の国民栄誉賞が決まった。羽生は「大変名誉ある賞をいただき、身に余る光栄」とコメント。授与を発表した菅義偉官房長官は「世界の歴史に残る快挙を成し遂げ、多くの国民に夢と感動を、社会に明るい希望と勇気を与えた」と理由を説明した。

 信念を持って苦難を乗り越えてきた。2014年ソチ五輪でフィギュア日本男子初の金メダル。昨年11月に右足首靱帯(じんたい)を損傷しながら、約4か月ぶりの実戦となった2月の平昌五輪で痛み止めを飲みながら魂の演技を披露。男子66年ぶりの連覇をつかみ取った。11年には出身地の仙台市のリンクで練習中に東日本大震災が発生し、避難生活を送った経験がある。「あれ以上に苦しいことも悲しいこともない」と当時を振り返る。多くの人の支えに触れた。今でも周囲への感謝の気持ちが、羽生の源になっている。

 「被災された方々からのたくさんの激励や思い、今まで一人の人間として育ててくださった全ての方々の思いがこの身に詰まっていることを改めて実感し、その思いが受賞されたのだと思っております」

 4月22日に仙台市で行われた祝賀パレードでは10万8000人が沿道を埋め尽くした。羽生が東北高時代にフィギュアスケート部顧問だった五十嵐一弥さん(72)は「けがを乗り越え、人間の能力を超越するような演技をした強運と努力、執念が実った結果。世界の羽生として堂々と授与式に臨んでほしい」と喜びを語った。

 史上初の4回転半ジャンプの成功をモチベーションに、新シーズンへ動き出している。すでに新たなプログラム曲も決まっているという。

 「皆さまの期待を背負い、まだ続く道を一つ一つ丁寧に感じながら、修練を怠ることなく、日々前に進んでいきます。この賞が被災地やスケート界にとって明るい光になることを願っております」。

 被災地を思いながら、羽生の挑戦はこれからも続いていく。

 ◆国民栄誉賞 1977年に野球で本塁打の世界記録を打ち立てた王貞治選手(当時)の功績をたたえるため、政府が創設した。首相が授与式で表彰状や記念品を贈る。当初は広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与える顕著な業績を残した個人が対象だったが、2011年にサッカー女子W杯で初優勝した日本代表「なでしこジャパン」に贈る際、団体でも受賞できるように表彰規定を変更。慣例として100万円相当の物品が副賞として贈られる。スポーツ、文化、芸能関係者は羽生を含めて26人(うち12人は没後受賞)と1団体(11年サッカー女子W杯日本代表)が受賞している。

 ◆冬季五輪の選手では初 五輪の金メダリストではレスリング女子の吉田沙保里、伊調馨、柔道の山下泰裕、女子マラソンの高橋尚子に授与されているが冬季五輪の選手では初めて。スケート界からも初。23歳での受賞は27歳の柔道の山下泰裕を抜き、個人では歴代最年少(団体ではサッカー女子・岩渕真奈の18歳)となる。過去最高齢は89歳の女優・森光子。

 ◆羽生の負傷後からこれまで

 ▽2017年11月9日 NHK杯の公式練習で転倒し右足首負傷

 ▽10日 病院で「右足関節外側靱帯(じんたい)損傷」の診断を受け、NHK杯欠場

 ▽12月18日 全日本選手権欠場を発表

 ▽18年2月2日 五輪団体戦を回避し、個人戦2連覇に照準を合わせることが判明

 ▽11日 五輪出場のため韓国入り

 ▽16日 4か月ぶり実戦のSPで自身の世界最高得点まで1.04点に迫る111.68点でトップに立つ

 ▽17日 フリー2位の206.17点、合計317.85点で連覇

 ▽3月2日 安倍晋三首相が国民栄誉賞授与検討を指示したと発表

 ▽7日 右足首の治療に専念するため世界選手権欠場を発表

 ▽4月13日 凱旋公演「Continues~with Wings~」に出演し、ジャンプ抜きの演技を披露

 ▽22日 仙台で凱旋パレード

 ▽5月25日 アイスショー「ファンタジー・オン・アイス」で3回転半を跳ぶ

 ◆羽生 結弦(はにゅう・ゆづる)1994年12月7日、仙台市生まれ。23歳。東北高卒、早大在学中。「弓に結ばれた弦のように凜(りん)と生きて」と名付けられた。14年ソチ五輪で日本男子初のフィギュア金メダル。世界選手権は14年と17年に優勝し、13~16年のグランプリ(GP)ファイナルで4連覇。ショートプログラム(SP)、フリー、合計でいずれも世界歴代最高記録を持つ。16年に世界初の4回転ループに成功。172センチ、57キロ。

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