薬物依存からの回復支援施設「ダルク」近藤代表、清原容疑者へ「頑張るな」

2016年2月11日10時30分  スポーツ報知

 元プロ野球選手・清原和博容疑者(48)が覚醒剤取締法違反(所持)容疑で逮捕されたニュースは、列島に大きな衝撃を与え、薬物問題の深刻さをあらためて浮き彫りにした。今、国内には薬物依存からの回復を支援する「ダルク」という施設が59か所あり、約1000人が通っている。同施設を日本で初めて設立した「日本ダルク」の近藤恒夫代表(74)は「(薬物と)頑張って闘わなくていい。一日一日、やめることを続けていくしかない」と自身の中毒体験も踏まえた助言を送り、求めがあればサポートを惜しまない考えを示した。(構成・田中 俊光)

 「もう少し早く捕まえてやればよかったのに」。近藤代表は、柔和な表情で率直な感想を口にすると「清原も(逮捕されて)よかったと思ってるんじゃないか。これでオープンに治療に専念できるようになった。薬物依存は病気。病気を治療するのは恥ずかしいことじゃない」と続けた。

 もちろん犯罪だ。ただ、薬物の魔力を知るからこその言葉でもある。30歳の時、激しい歯の痛みを相談した知人に覚醒剤を勧められた。軽い気持ちで使用すると、劇的に痛みが消えた。以来、泥沼にハマった。やめられず39歳で逮捕。執行猶予付き判決を受けた後、アルコール依存症施設へ。一度も「やめろ」と言わなかった米国人神父と出会い、近藤代表の人生は変わった。「一日一日やめ続けることを積み重ねていくしかない」。そのためには「孤立」が一番の問題になると考え、依存症患者が集うための施設「ダルク」を自ら開設した。

 薬物に手を出すきっかけには「見える痛みと見えない痛み」があるという。「(清原容疑者は)あれぐらいの選手になると、痛い所だらけだっただろう。ストレスもあったと思う。薬をやると一時、天才にもなれるし、何も怖くない。やるやつは、とにかく弱虫なんだ」。過去の自分を重ねるように話す近藤代表は「薬を使うと周りの存在が邪魔になる。苦言を呈する人は敵になる。人を避けるから孤立する。増えていくのは薬を供給してくれる人だけ」と負のスパイラルに陥る経緯を説明した。

 覚醒剤の最も怖いところは「自己防衛本能がなくなること。ある時、自分でコントロールできない“メチャ使い”の時期が必ず来る。自分の命を防衛する力も失う」。使用程度にもよるが、ドラマで演じられるような激しい禁断症状はないという。気持ちよくなった後は、言いようもない疲労感に襲われて眠りに落ちるだけ。苦しさはない。「だからやめられない」。

 治療法については「いつか出なくてはいけない(医療施設などへの)隔離をしても意味がない。薬物と闘え、と人は言うが、闘っても勝ち目はない。頑張っちゃダメ。やめるには仲間が必要」と断言。ダルクでは1日3回のミーティングが日課。数人でテーブルを囲み、自分の現状だけを話す。未来のことは話さない。「今日一日だけやめてみよう」をひたすら継続する。

 薬物中毒は「交通事故みたいなもの。誰でもなり得る」と警告。「私も、何十回もやって依存症になったわけじゃない。最初の一発が強烈だったら依存するしかない。これと一緒だったら人生終わってもいいと思ってた。今、清原も大変だと思うよ」と容疑者の今後を案じる近藤代表は、求められればサポートを惜しまない考えもある。実際に施設に入って回復する患者は全体の「3割ぐらい」だが、「それでも、ないよりはいい。1人でも救われれば」と話した。

 ◆ダルク(DARC) Drug(薬物)、Addiction(病的依存)、Rehabilitation(回復)、Center(施設)の頭文字を取った略称。「日本ダルク」では医療、福祉、法律などの専門家とも連携している。

 ◆近藤 恒夫(こんどう・つねお)1941年、秋田県生まれ。覚醒剤事件で39歳で逮捕された後、85年に日本初の民間による薬物依存者回復施設「ダルク」(現東京ダルク)を開設。2000年、依存症からの回復を支援するNPO法人「アパリ」を設立。国内外で講演も精力的に行っている。95年、東京弁護士会人権賞を受賞。01年、吉川英治文化賞受賞。

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