【あの時・羽生善治 初の7冠】(2)小学生名人戦で谷川と運命の出会い

2016年12月5日14時6分  スポーツ報知
  • 初対面した時の羽生善治(前列右)と谷川浩司八段(奥)。前列左は後に名人となる森内俊之

 羽生が将棋を始めた6歳の時、史上2人目の中学生棋士として14歳でデビューしたのが谷川だった。羽生にとっては「あまりに遠い世界にいて、自分もなりたい、という感覚さえなかったです」と語るほどの雲の上の憧れだった。将棋雑誌を読み込んで研究したのは、十代の谷川が用いて棋界に衝撃を与えた横歩取りの奇襲戦法だった。

 偶然の出会いは1982年4月3日、6年生の羽生が小学生名人戦で優勝した時だ。谷川はNHKの解説者として現地を訪れていた。11歳の少年の指し手を見た19歳の天才が「羽生君、強いですよ。ノータイムで指しているのに全部正解ですから」と驚く映像が今も残っている。

 羽生「あ、谷川先生だとは思いましたけど、もちろん話し掛けられるようなものじゃなく…」

 谷川「小学生名人戦を見に行ったのはあの時が最初で最後なので、不思議なものを感じます。まさか、あれから数年後に戦って、苦戦するようになるとは思いませんでしたけど」

 翌83年、谷川は21歳の史上最年少名人に。85年には羽生が谷川以来の中学生棋士としてデビュー。86年には両者の初手合が実現し、羽生が制している。

 羽生「(谷川名人誕生は)こんなことが本当に起こり得るのだろうか、と思いました。名人は30代から40代というイメージだったので。プロになって最初に谷川先生に(代名詞の)『光速の寄せ』で寄せられた時はプロ野球に入って初めて150キロの球を見た新人の気分で、おおおおーって(笑い)」

 谷川「羽生さんと羽生さんの世代の台頭によって時代が突然変わってしまった」

 出会いから14年。通算72局目の対戦となった盤上で羽生は苦悶(くもん)していた。谷川は王将を自陣の最下段に据える新構想を披露する。2人の前に時代を築いた中原誠十六世名人が創案した「中原囲い(※)」を自己流にアレンジした変化球だった。

 前例のない将棋。羽生は64分の長考に沈む。

 羽生「困っていました。斬新な趣向で優秀な作戦だとすぐ思いました。あの時点で指す手が難しかった」

 ハーッ、ハーッ。口呼吸の音が対局室に響く。記録係として終局まで両者の前にいた下野貴志奨励会二段(現・指導棋士五段)は「脇息(きょうそく=肘置き)にうなだれたり、傍目(はため)から見てもしんどそうでした」と回想する。

 羽生は次の一手を指さず、32手目を封じ手として1日目は終わった。ペースを握ったのは谷川だった。(北野 新太)=敬称略=

 ※中原囲い(なかはらがこい) 守備陣形のひとつ。手数をあまり掛けず、金銀4枚によって王将を比較的堅く囲うため急戦に強い。持久戦になると弱い側面がある。中原誠十六世名人が整備した。

あの時
  • 楽天SocialNewsに投稿!
社会
今日のスポーツ報知(東京版)