弟子の羽生三冠が追悼の言葉で手を震わせる 将棋棋士・二上達也九段お別れの会

2016年12月19日17時9分  スポーツ報知
  • 弟子を代表して二上九段への追悼の言葉を読んだ羽生善治三冠
  • 師匠・二上九段の遺影の前で感謝の思いを語った羽生3冠

 11月1日に肺炎で死去した将棋棋士・二上達也九段(享年84)の「お別れの会」が19日、東京都千代田区のホテルニューオータニで営まれ、棋士ら将棋関係者約130人、多数のファンが出席し、故人を偲んだ。

 二上九段は故・大山康晴十五世名人、中原誠十六世名人(69)らと数々の名勝負を繰り広げた昭和の大棋士。1950年にデビューし、56年には入門6年でA級八段という最短記録を樹立した。26回出場したタイトル戦では、絶対的な強さを誇っていた大山に果敢に立ち向かう姿が多くのファンの共感を呼んだ。タイトル獲得は棋聖4期、王将1期の通算5期。90年に引退した。日本将棋連盟会長を89~2003年と14年にわたって務め、男性棋戦に女流棋士出場枠を設けるなど、棋界発展に多くの功績を残した。物静かで優しい人柄で人々に慕われ、羽生善治三冠(46)の師匠としても知られる。

 お別れの会には中原十六世名人、羽生、谷川浩司九段(54)=将棋連盟会長=、佐藤天彦名人(28)、郷田真隆王将(45)、森内俊之九段(46)ら多数の棋士が出席。会場入口には大山十五世名人との熱戦が刻まれた棋譜、詰将棋原稿などが置かれた。遺影には、現役引退後ながら現役時代さながらの眼光で盤に向かう写真が使われた。

 追悼の言葉を読んだ羽生は、自らの対局中に駒を持つ指先を震わせるのと同じように、巻紙を持った手を激しく震わせながら師匠への感謝の思いを語った。

 以下、羽生の「追悼の言葉」全文。

 追悼の言葉

 先生のところへ入門のお願いに伺ったのは今から35年前の秋でした。とても緊張しましたが、物静かで威厳のある姿がとても印象的でした。帰り際に先生の詰将棋作品集「将棋魔方陣」を頂きましたが、詰将棋の名手としても知られていた先生の作品はとても難解で、1題解くにもとても苦労した記憶があるのと同時に、81の升目全てに玉型を置く遊び心と独創性の大切さを教えていただきました。

 そして、その頃の先生は棋聖戦で中原(誠)先生、加藤(一二三)先生、米長(邦雄)先生ら当代一流の棋士たちを打ち破り、棋士としての全盛期を迎えていた時期でした。切れ味鋭い棋風での対局は、多くのファンを魅了していたと思います。

 私が小学生名人になって、その事を報告した時は、アマチュアの大会の実績は関係ないから気を緩めないようにと、プロの世界の厳しさを教えていただきました。

 先生には多くの後援者がいました。将棋を指し、酒席を共にし、語り合う深い交流は、師匠の人徳を感じる数多くの場面がありました。

 また、将棋連盟会長として長きにわたっての活動は多忙を極め、難題も数多くありましたが、初めての国際将棋フォーラムの開催をはじめとして、未来の発展への道筋を示していただきました。

 その姿は、棋士として、弟子として、いつも大きな安心感に包まれた大きな存在でありました。

 先生はプライベートでカラオケで歌を歌われるのがとても好きでした。しかし、弟子たちの前では遠慮されていたようで、引退をされて、かなり経ってから初めて聴きました。その時、初めて認めていただいたような気がして、うれしかった記憶があります。

 将棋界では盤の升目の数と同じ81歳を盤寿としてお祝いする慣習があります。体調が優れず、その機会をつくれなかったことが今でも大きな心残りです。

 先生と縁をいただき、弟子にしていただけたことは大きな幸運であり、かけがえのない経験でした。これを大切に前進していきたいと思います。ここに謹んで哀悼の意を捧げます。どうもありがとうございました。

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