【東京ドーム30年】元年のキャンプ中から痛烈批判したのは“闘将”星野仙一監督だった

2018年2月3日9時0分  スポーツ報知
  • 1988年2月7日付報知新聞1面

 日本初の全天候型多目的スタジアム、東京ドーム(東京・文京区後楽)が今年30周年を迎える。1988年3月17日にオープニングセレモニーが行われ、翌18日に巨人・阪神のオープン戦がこけら落としイベントとなった。今年は巨人の宮崎キャンプが60年、夏の甲子園(全国高校野球選手権)が100回大会と節目が重なるが、東京ドームもメモリアルイヤーだった。その30年の歴史をスポーツ報知の紙面で振り返る。

 ◆1988年2月7日付1面

 ドーム元年の1988年。2月のキャンプ中に東京ドームを痛烈に批判したのは中日・星野仙一監督だった。2月6日に東京ドームの特別ルールが発表されたことを受け「騒音がうるさい」「ボールが見えない」と新球場を「痛烈批判」し、「星野 吠えた 何とかせぇ巨人」と1面ネタになった。

 この日、日本野球規則委員会は、東京ドームの特別ルールを発表した。「打球が天井に当たるか、マウンドと二塁ベースの間の天井からつってあるテレビカメラに当たった場合は、フェア、ファウル地域にかかわらずプレー続行」などが明文化された。これを沖縄のキャンプ地で伝え聞いた当時中日の星野仙一監督がかみついたのだ。「ボールが見にくい、騒音がうるさいなんていうのはおかしい」「なぜ作る前にそういう対応策を練らんのか」「主催球団もよりプレーしやすくするのが当然」と巨人に苦言を呈した。

 巨人は宮崎キャンプに熱が入っていて、東京のドームの話題からはやや遠ざかっていた時期だったが、星野監督の放言によって結果的に、ドーム元年をあおる記事になった。未知なドームへ誰もが不安に思っていたことだろうが、監督は記者からネタを振られて、チームの話題作りにリップサービスしたことは容易に想像できる。

 1月4日に膵臓(すいぞう)がんのため70歳で亡くなった星野仙一さん。30年前の記事を見て、我々マスコミは、貴重なご意見番を失ったことを痛感した。東京ドームの開場前にドームネタで1面をかっさらった星野監督の闘将ぶりを紙面からうかがうことができてよかった。(資料探偵・酒井 隆之)=毎週土曜日午前9時に配信=

  • 楽天SocialNewsに投稿!
社会
今日のスポーツ報知(東京版)
報知ブログ(最新更新分)一覧へ