【東京ドーム30年】記念すべきこけら落とし第1球は江川VS掛布だった

スポーツ報知
1988年3月19日付報知新聞最終面

 日本初の全天候型多目的スタジアム、東京ドーム(東京・文京区後楽)が今年30周年を迎える。1988年3月17日にオープニングセレモニーが行われ、翌18日に巨人・阪神のオープン戦がこけら落としイベントとなった。今年は巨人の宮崎キャンプが60年、夏の甲子園(全国高校野球選手権)が100回大会と節目が重なるが、東京ドームもメモリアルイヤーだった。その30年の歴史をスポーツ報知の紙面で振り返る。

 ◆1988年3月19日付最終面

 こけら落としとなった3月18日の巨人・阪神のオープン戦は、9―4で巨人が勝利した。記念すべきドーム第1号は吉村が2回にソロを決めた。さらに蓑田が5回に2ラン、6回にクロマティがソロを放ち、先発の桑田が勝利投手となった。翌19日付の報知新聞は、「巨人 祝砲3発 球史に1勝」「開幕『ドーム』吉村熱狂1号」「攻撃野球には絶好の新舞台」「勝利投手はエッヘン 桑田だ」の見出しが並んだ。

 記念すべき第1球は桑田によるものではなく、最終面で報じられた。試合前に、前年に引退した江川卓氏の引退セレモニーが行われたのだ。マウンドから江川氏が投球し、ライバルの阪神・掛布雅之(現役)が空振りするという豪華ショー。元祖“怪物”がドームの記念すべき第1球を投じたのだった。最終面には「江川さらば」「惜別第1球 念願のドーム球場で引退セレモニー」「男の友情だ 掛布空振り」との見出しが躍った。

 その時の描写を一部引用してみると「江川の別れのボールは、83キロを記録して、掛布の外角低めにコントロールされた」「空気を切りさいて、掛布のバットが振り切られた。『打っていくよ』と約束していたライバルは、最後に、友情の空振りを選んだのだ」とある。

 江川氏はセレモニーの後、すぐにスーツに着替えて、日本テレビのゲスト解説として試合を見守った。掛布氏がこのシーズン最終戦(10月10日・甲子園)でユニホームを脱ぐことになろうとは、この時ドームにいた誰も知らない。(資料探偵・酒井 隆之)=毎週土曜日午前9時に配信=

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