女川から夢のJリーグへ 俺たちのコバルトーレがJFLデビュー

スポーツ報知
1点差に迫るゴールを喜ぶ女川イレブン

◆JFL第1ステージ第1節 ホンダ2-1コバルトーレ女川(11日、静岡・ホンダ都田サッカー場)

 2万人を超える犠牲者を出した東日本大震災は11日、発生から7年を迎えた。多くの犠牲者が出た宮城・女川(おながわ)町が本拠地で、日本フットボールリーグ(JFL)に今季から昇格したコバルトーレ女川は静岡・浜松市でホンダFCとの開幕戦に臨み、1―2で惜敗した。復興途上の町とともに歩むチームは、Jリーグ昇格という新たな挑戦のスタートを切った。芸能界でもEXILEのメンバーらが被災地でイベントを開催した。

 ひたむきに、愚直に。女川イレブンはJFL2連覇中の格上、ホンダFCを相手に、堂々としたサッカーを披露した。1―2。敗れはしたが、村田達哉監督(45)は「選手全員が90分間、自分たちの体をなげうってプレーしてくれた」と選手をねぎらった。

 2006年にチームが発足。10年には東北社会人リーグ1部に上がったが、翌年に東日本大震災が発生。女川町も800人を超える死者、行方不明者が出た。チームもクラブハウスが全壊し、グラウンドは自衛隊車両の駐車場になった。1年間の活動休止となったが、地元の企業で働きながら活動をする選手は、率先して津波で流れ込んだゴミの清掃や、運動不足の子供たちを対象にした運動教室に参加。12年の活動再開後にも地域との交流や復興支援活動に参加し、地域を盛り上げてきた。

 MF成田星矢主将(31)ら選手5人が働いているかまぼこ製造会社・高政の高橋正樹取締役社長室長(43)は「成田は仕事の面でもしっかりこなしてくれる。社員の見本です」という。高橋さんも震災で祖父を亡くしたが、この日は現地で約50人のサポーターとともに応援。選手の奮闘に「きょうは悲しい日なのかもしれないけど、それを喜びや楽しみな日に上書き保存してもいい。きょうの試合は本当に素晴らしかったし、女川に帰ったらみんなに伝えたい」と目を細めた。

 チームは20年のJ3昇格を目指している。それを後押しするように、同町でも専用スタジアム建設を計画している。「僕たちの戦いを通してクラブや女川のことを知ってもらえたらうれしい」と成田主将。将来の大きな夢に向かって、約6600人の小さな町にある希望の星は戦い続ける。(遠藤 洋之)

 ◆死者行方不明者 人口の8・7%に

 女川町は宮城県北東部の太平洋沿岸に位置。水産業が盛んで、特に銀ザケ、サンマで知られる。俳優・中村雅俊(67)は同町の出身で、観光物産施設「マリンパル女川」の名誉館長も務めている。

 東日本大震災の際には、高さ14.8メートルの津波に襲われ、3.2平方キロにわたって浸水。一般家屋の66.3%が全壊した。死者は関連死22人を含む615人、行方不明者は258人(7日現在)。当時の同町の人口は1万14人で、死者・行方不明者の割合が8.7%は、県内で最高だった。

 町の中心部にあるJR石巻線の終点・女川駅は15年3月21日に復旧。ただ、現在は人口が6599人(2月末現在)と震災前から3割以上減り、減少率は全国平均を大きく上回っている。

 ◆コバルトーレ女川 ホームタウンは宮城・女川町。クラブ名は「コバルトブルーの海」の「コバルト」と、フランス語で森を意味する「フォーレ」を合わせた造語。2006年に石巻市民リーグからスタート。宮城県、東北社会人2部南を経て10年に同1部に昇格したが、1季で2部降格。11年は震災のため不参加。13年に東北1部に再昇格し、昨年から2連覇を果たし、今季JFLへ昇格した。

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