平昌五輪取材で実感…交通問題が増長させる、気温のストレス

スポーツ報知
平昌五輪会場周辺

 日本選手団が過去最多13個のメダルを獲得し、大いに盛り上がった平昌五輪。その裏では、数々のアクシデントやトラブルも起きていた。次の開催である東京は、隣国の五輪の経験をどう生かすことができるのか。人口1000万を超す東京と4万人ほどの平昌で単純比較はできないものの、参考にできる点は数多い。

 平昌五輪を現地取材して悩まされたのは、「寒さ」と「交通の不便さ」だった。これは観戦に行った人たちに聞いても共通していた困りごとだ。今振り返ってみると、この2つは別々ではなく、セットとなった問題だったように思う。

 なぜならば、最も寒さを感じ、ストレスになったのは、バスなどの交通機関を待つ時間だったからだ。メディア用に宿舎、競技場、駅などを循環しているバスが、時間通りに来ないことはしょっちゅうあった。

 たとえば30分間隔で運行されているバスで宿舎があるメディアビレッジから江陵駅へ行こうとした時のこと。寒い中で待つのは避けたいので、時刻表に記載されている時刻の3~4分前に行くわけだが、5分、10分待っても来ない。おかしいな、と思っていると30分後の次のバスが来たりする。調べると、待っていたバスは定刻よりも早く出ていた。運転手に苦情を言うと「(乗っている人は)早く着くからその方がいい。待っていれば次のバスが来るわけだから」と真顔で言われた。さらにバスを乗り継ぐ時には、乗り場が分かりにくく、ボランティアの人に聞いても、なかなか分からないということがあった。

 一般の観客は交通ではもっと大変な思いをさせられていた。平昌での開会式が終わった後、ホテルがある江陵にバスで戻ろうとした人の話では、20分間隔で発車するはずのバスがなかなか来ず、長蛇の列ができた。氷点下10度を下回る気温の中で、いつ乗れるか分からないバスを待ち、1時間以上待ってやっと乗れたかと思うと、乗り継ぎのために山中の駐車場でいったん降ろされたという。

 また寒風の中で、延々とバス待ちをさせられ、押し合いへし合い。割り込む連中も出てきてパニックになってしまった。混乱に拍車をかけたのは言うまでもなく、体調に異常をきたしてもおかしくないほどの厳しい寒さだった。(甲斐 毅彦)

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