大仁田厚氏、神埼市長選で落選…即4年後再出馬を表明

スポーツ報知
落選後、4年後の再出馬を表明した大仁田厚

 任期満了による佐賀県神埼市長選挙は15日、投開票され、現職の松本茂幸氏(67)=無所属=が、元プロレスラーで参院議員も務めた大仁田厚氏(60)=同=との一騎打ちを制し、4選を決めた。大仁田氏は1月に同市に移住し、「かえんば神埼」、「神埼ブランドの宣伝マンになる」などとアピールしてきたが、旧神埼町長時代から地盤を築く松本氏の組織力にはね返される結果となった。

 落選が判明すると、すぐに支援者の前に姿を見せた大仁田氏は、目に涙を浮かべて一礼した。「みなさん、本当にどうもありがとうございました。結果はこういう結果になりました。でも、この神埼市は、そろそろ変わらなければいけないと私は思ってます。しがらみをなくさなければ、子ども達の未来はありません」と声をからして訴えた。そして「4年後もこの神埼市に住み、戦います」と次回の選挙にも挑むことを表明した。

 神埼市は、06年に、神埼町、千代田町、脊振村が合併してできた新しい自治体で、前回14年4月の選挙は立候補届者が松本氏だけで無投票の当選だった。旧神崎町時代から町長として、地元を治めてきた松本氏の組織力の前に、大仁田氏の知名度もはね返された。

 大仁田氏は、8日の告示から毎朝7時に辻立ちし、街頭で拡声機が使用できる午前8時から午後8時まで、マイクを握って声をからした。夜は集会で講演と、01年の参院選、10年の長崎県知事選を超える“ドブ板”選挙を繰り広げた。

 この日の朝、大仁田氏が、自らに1票を投じようと市内の西郷小学校に行こうとすると、朝から投票者の行列ができていた。混乱を避けるためその渦には入っていかず、大仁田氏が投票できたのは午後になってからだった。今回は同日の市議会議員選挙が無投票になったにもかかわらず、投票率は、期日前投票の時点で、前回選挙を上回っていた。“大仁田旋風”が吹いたかに見えたが、松本氏の底力がそれを押し返す大混戦の様相だった。

 「神埼ブランドの宣伝マンになる」という公約を掲げた大仁田氏には、「市長として電流爆破デスマッチ」という“裏公約”もあった。プロレス時代に一世を風靡(ふうび)した「ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ」の夏祭りでの開催は、町おこしの起爆剤になるに違いない。市長のポストは逃したが、神埼市の“家族”になった大仁田氏は4年後に向けて、16日に朝7時からの辻立ちで出直す。

 ◆大仁田 厚(おおにた・あつし) 1957年10月25日、長崎市生まれ。60歳。73年、ジャイアント馬場の全日本プロレスに入門。82年、米国でNWA認定インターナショナルジュニアヘビー級王座奪取。84年、左膝蓋骨(しつがいこつ)粉砕骨折で最初の引退。89年に独立団体FMWを旗揚げし、有刺鉄線電流爆破デスマッチなどの路線で“涙のカリスマ”として復活。95年、川崎球場で2度目の引退試合。2001年、参院選(自民党比例代表)で約46万票を獲得し初当選。05年、明大政経学部2部卒業。10年に長崎県知事選に出馬も落選。17年、還暦を機に7度目のプロレス引退。

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