尾畠春夫さんの激動半生を「とくダネ!」が特集 「お前は養えない…」小学生で奉公、徒歩で日本縦断「尾畠春夫の人生に悔いなし」

スポーツ報知
小倉智昭氏

 17日放送のフジテレビ系「とくダネ!」(月~金曜・前8時)で山口県周防(すおう)大島町家房に母親らと帰省し、12日午前から行方が分からなくなっていた同県防府市の藤本理稀(よしき)ちゃん(2)を15日朝に近くの山中で発見し救助した大分県からボランティアで駆けつけた尾畠春夫さん(78)の半生を特集した。

 7人兄弟の4番目で生まれた尾畠さん。小学生の時から近所の農家で働き中学卒業と同時に鮮魚店で働いた。「7人兄弟で一番、飯を食べよったから。春夫、お前はうちで養ってやれんから農家に奉公行きなさいって」と明かした。中学で学校に通った期間は「3年間で4か月ぐらい」だったが、仕事を通じて「義理人情とか仁義。もらったものは必ず返す。頭を深々、例えば秋の稲穂みたいに頭を下げて、ありがとうございましたっていうような人間になれ」と教えられたという。 

 40歳ごろから登山が趣味になり、自主的に登山道を整備した。13年前まで大分・別府市内で鮮魚店を営んでいた。番組では当時の映像を入手し、鮮魚店を知る人を取材し「東京なんかで食べる値段に比べたら3分の1か4分の1。そりゃ安かったですね。ボクの仲間がとっても喜んでました。金が先だったらできんでしょ」と尾畠さんの店を絶賛していた。

 65歳で鮮魚店を閉店。06年に徒歩で日本縦断に挑戦。鹿児島県の佐多岬から北海道宗谷岬まで約3300キロを歩いた。当時の思い出を「今の南三陸の歌津中学の浜の近いところでテントを張ったんです。おこわをこんなに持ってきてくれたの。初対面ですよ」と振り返った。

 しかし、2011年の東日本大震災でお世話になった南三陸町の人に電話をすると「電話が通じない。これは、行くしかない」と南三陸町に行った。そしてお世話になった人の無事を確認しボランティア活動をはじめ、がれきに埋まった思い出の品を探して持ち主に返却する「思い出さがし隊」の隊長に就任した。「一枚一枚にはその人の思い出があるから。毎日涙の出ない日はないぐらい、そんな毎日でした」と尾畠さんは涙を流した。

 東日本大震災でのべ500日ボランティアで当時を知る人は「自分の車に寝泊まりして自炊して本当に謙虚な方だと思っていました」と称賛していた。その後、熊本地震、今年の西日本豪雨でもボランティアとして現地に駆けつけた。自宅には見知らぬ人から「尾畠さんありがとう」と書かれたメッセージとお茶が届けられていた。尾畠さんは番組の取材に自身の人生を「自分は幸せな悔いのない人生を送れたな。尾畠春夫の人生に悔いなし」と語っていた。

 VTRを見た小倉智昭キャスター(71)は目を潤ませながら「尾畠さんに比べたら自分は何をやってきたんだろうって思っちゃうよね」と感嘆していた。

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