どうか救いたまえ―町田康さんが紡ぐ「現代の超約聖書」

2017年9月2日12時0分  スポーツ報知
  • 「ホサナ」の著者、町田康氏
  • 町田康著「ホサナ」

 ミュージシャンとしてデビュー後に作家活動に入り、芥川賞をはじめとする数々の文学賞を受賞してきた町田康さん(55)。新作「ホサナ」(講談社、2376円)は、692ページの長編にもかかわらず、何度も読み返したくなる不思議な引力を持っている。めくるめく魔術的な言葉に翻弄されながら、読者は随所に仕掛けられたツボに何度も噴き出してしまうことだろう。執筆に5年をかけた町田さんが描き出そうとしたテーマは、現代に生きる私たちにとっての「救済」だ。(甲斐 毅彦)

 何とも不思議な読書体験だ。一読しただけでは、何が何だか、ほとんどわけが分からない魔術的な言葉に満ちた約700ページの大作。それでも読者を引き込んでしまうのは、定型化された文章を崩して、一文一文を練りに練っているからだろう。

 「(小説の)文章そのものを読んでくれている人が多いのはうれしいですね。小説を読む時って、一般的にはストーリーが中心で、どんどん先を知りたくなる。(書き手としては)なくても話が成立するようなものでも、自分が体験している現実に近い形でリアルに書きたいというふうになってくるんですが(読み手は)『いつまでその話してんねん』みたいな感じにもなる。でも、小説には細かいところも必要やな、と思って書いた。文章そのもので雰囲気を出したり、テイストを出したり、やっぱり文章を工夫して書いています」

 「ホサナ」とはヘブライ語で「救いたまえ」という意味。旧約聖書に登場し、新約聖書には、エルサレムに入ったキリストに対して歓喜した民衆が「ホサナ」と叫ぶシーンが3つの福音書で描かれている。町田さんはクリスチャンではないが、聖書を読んだ時にこのシーンが強く印象に残ったという。

 「エルサレムに行くイエスが『やばい、行ったら殺されるかも』と思っても、自分が行ったことで、皆がわーっと盛り上がってしまった。『もう帰られへん』となるじゃないですか。(小説では)エルサレムやイエスをそのまま書くわけでもないけど、皆が誰かに対して『救いたまえ』と言いながら集まってくる。そんなイメージがありました」

 物語は、遺産に恵まれた主人公の「私」が飼い犬とともに愛犬家の集うバーベキューパーティーに参加するところから始まる。そして奇想天外な災厄に遭遇した「私」と「私の犬」は、不条理な世界へ巻き込まれ、翻弄されていく。この世に救いはあるか。正しい信仰とは何か。行き当たりばったりで、もがき続ける「私」は、著者自身が反映されている部分もあるようだ。

 「主人公にもあるし、他の登場人物にもあるし、全体的に散らばっているんじゃないですかね。『水戸黄門』みたいに完全な『悪』と『善』がはっきり分かれていたらそんなことはないんでしょうけど。一人の人間の中には矛盾するものがあるじゃないですか。真面目に生きたいと思う部分もあるし、なるべく楽してもうけたいなと思うこともある。どっちかがウソってわけじゃないと思うんですね」

 物語は、人間と人間の都合で犠牲になる犬が軸となっているが、啓示的な声の主「日本くるぶし」や「諸問題解決の糸口になる可能性がある」として人間に製造された「ひょっとこ」など奇怪なものたちが登場する。とくに「ひょっとこ」の存在はユーモラスさと薄気味悪さが交錯し、強烈な印象を与える。

 「人間と犬だけでは、一方が『かわいそうな弱者』みたいな話で、ちょっと現実をうまく表していない気がして、もう一段、えたいの知れないものを、と。『ひょっとこ』というのは戦略的というか、自然に出てきた感じなんです。今のご時世は『こういう表現は差別的だ』みたいな抗議が来たりしがちですが『ひょっとこ』自体が架空やし『ひょっとこ』の人権を守ると声高に主張する人もいないし(笑い)」

 本の帯には「現代の超約聖書」とある。聖書そのものがそうであるように、読み返す度に発見をもたらす懐の深さがある作品なのかもしれない。

 「そう思っていただけるならありがたいですね。やっぱり僕自身も好きな本って何回も読みますから。読み返すと、あ、こんなことあったのかと気づくことも多いし。(一文一文に)意味はやっぱりあると思いますよ。作者がどういう意味を込めて書いたかというのもあるし、その文章が、作者が知らないところで読んだ人にとっての意味を生みますよね。それがやっぱり大事なんじゃないでしょうか」

 ◆町田 康(まちだ・こう)1962年1月15日、堺市生まれ。55歳。1979年、ロックバンド「INU」を結成。町田町蔵の芸名でボーカリストとして、81年「メシ喰うな」でデビュー。音楽活動を続けながら俳優としても活動。97年に作家としてのデビュー作「くっすん大黒」で野間文芸新人賞など受賞。2000年に小説「きれぎれ」で芥川賞、01年「土間の四十八滝」で萩原朔太郎賞、02年「権現の踊り子」で川端康成文学賞、05年「告白」で谷崎潤一郎賞、08年「宿屋めぐり」で野間文芸賞を受賞。他に「パンク侍、斬られて候」など多数。

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