浪商元監督の広瀬吉治さん死去、牛島―香川のバッテリー擁して79年センバツ準優勝

スポーツ報知

 高校野球の洲本(兵庫)、浪商(現大体大浪商、大阪)で監督を務めた広瀬吉治(ひろせ・よしじ)さんが12日、亡くなった。89歳だった。

 終戦後の1946年、6年ぶりに復活した夏の全国中等学校優勝野球大会(西宮で開催)に、浪華商(現大体大浪商)の捕手として出場。2本塁打を放って優勝した。法大を経て53年に洲本の監督に就任。同年のセンバツに初出場し、決勝で母校を破って優勝した。

 68年に浪商の監督に就き、甲子園に5度出場。79年センバツは、後にプロで活躍する牛島―香川のバッテリーを擁して準優勝した。監督で甲子園通算15勝。88年の勇退後は大院大監督などを務めた。教え子の大体大浪商・四田勝康監督(61)は「人間性を重視された教育者でした」と悼んだ。

 葬儀・告別式は14日午後1時30分から大阪府吹田市桃山台5の3の10、公益社千里会館で。喪主は長男・吉孝(よしたか)氏。

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