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新聞セールスから母校・立正大のコーチ就任 元中日・金剛弘樹さんが後輩に伝えたいこと

2018年3月27日11時0分  スポーツ報知
  • 選手にアドバイスを送る金剛弘樹さん(左)
  • 母校、立正大の投手コーチに就任した元中日・金剛弘樹さん
  • 中日時代の金剛弘樹さん(2012年)

 ジリジリと照りつける太陽の光と向き合う生活が再び始まった。元中日・金剛弘樹さん(39)は昨年秋から母校・立正大の投手コーチを務めている。「大学生は考え方一つで変われると思うんです。自分が培ってきたものを伝えたい」ややふっくらとした印象もあるが、精悍(せいかん)な顔つきで答えた。

 金剛さんのプロ野球人生は、ほとんどが“お天道様”との付き合いだった。逃れられなかったと言ってもいい。プロ8年間で、2軍のウエスタン・リーグでは救援投手として3度セーブ王を獲得し、通算272試合に登板したが、1軍では実績を残せなかった。27試合で0勝1敗、防御率8・16という成績が残っている。ナイターのカクテル光線を浴び、注目される1軍でプレーする経験は少なかった。

 272登板は、在籍した期間の2軍の公式戦の3分の1以上の試合に登板したことになる。ファームでも分業制が広がっているとはいえ、特筆すべき登板数になる。金剛さんは「今思えば、すごい数字だと思いますね。2軍でそれだけ居たら普通クビになっていますよね。8年間、試合に投げさせてもらえたのは、チームにとって何かあったときに必要な存在であったという気持ちはありますね」。2軍で結果を残さなければ1軍には上がれない。ただ成績を残せば必ず、昇格できるわけでもない。1軍の同じポジションの選手が調子を落とす、またはケガで離脱した時に、声がかかる。その時に必ずしもコンディションがいいという保証はどこにもない。チャンスも必然的に若い選手に多く与えられ、年齢が上がるにつれて減っていくものだ。

 金剛さんはプロ1年目のキャンプで注目を集めた。フォークの神様の中日OB・杉下茂さんからフォークを絶賛された。森繁和投手コーチ(現監督)には「中継ぎだな」と適性を判断され、2軍でもほとんどリリーフ登板で先発はわずか4試合だった。

 年々、好投しても昇格のチャンスが減っていく状況をどう感じていたのか。金剛さんは「葛藤はありましたよ。モノを言ったこともあります」と当時を振り返った。2011年だった。2軍で抑えを任され31試合に登板、14セーブでタイトルを獲り、失点は2で防御率0・62。文字通り“無双状態”も1軍から声がかかることは1度もなかった。シーズン後の契約更改で1軍登板がないとの理由でダウン提示を受けた。「1軍で結果を残すために、2軍で成績を残している。だったら他に出してもらったほうが…」。思わず口走ったこともあったという。それでも8年間の現役生活について「少しでも必要としてくれたことがありがたい」と感謝の思いを口にした。

 12年オフに戦力外通告を受けると韓国プロ野球の新規参入球団・NCダイノスの入団テストを受けた。「(球速も)146、7キロ出ていて調子良かったんですが、チームが先発を求めていて…。『先発もできます』って言ったけど、『(先発の)実績がない選手を獲るのは冒険になるしそれは出来ない』と言われた」。リリーバーとして生きていたことが仇(あだ)となり、契約はならず。その時点でキッパリと現役をあきらめた。

 その後は、大学の知人の紹介で読売新聞の系列会社「読売情報開発」に入社した。「何をやるかも分かっていなかったけれど、家族のために割り切って働きました」。当時は4歳の長男と1歳の次男がいた。30代半ばでの入社で、新卒入社の20代社員が先輩になる。球界では年齢が基準で先輩、後輩が決まるのがルールなだけに戸惑いもあった。「ギャップは少しありましたけど、割り切れるかですよね。土壌が違うところに行くんだから、そこでのやり方できちんとやらないと…」。年下の“先輩社員”に丁寧な言葉で接し、仕事を覚えていった。仕事内容は新聞のセールス。販売店の依頼を受け、マンションや一戸建てを回り営業をする。コツコツと取り組んだことで結果を残し、毎年のように優秀セールスマンとして表彰を受けた。「しんどかったですね。でも仕事だからつらいのはしょうがないと思いました。人見知りでしたが、より多くの人と接することがいい経験になったとは思えますね」。

 そんな時に、母校・立正大の坂田精二郎監督(43)から誘いを受けた。4学年上の坂田監督とは、大学では入れ替わりとなるが、社会人時代に都市対抗でバッテリーを組んだこともあった。金剛さんは「朝日生命の時に都市対抗で、坂田さんがシダックスから補強(選手)でいらっしゃってバッテリーを組みました。一緒にやっているのは大きいですね」。昨年2月にアマチュア資格を回復し、投手コーチに就任した。坂田監督は「野球観が同じなので一緒にやりたいと思った。金剛は見た目で損しているけど、バッテリーを組んで性格も知っているので…。呼んで改めて存在の大きさを感じています」と評価している。

 金剛さんの大学時代は投手専任のコーチはいなかった。入学後、150キロの直球を武器にエースとしてフル回転し、スカウトの注目を集めたが、2年秋に右ひじを骨折し、チームも2部に転落。苦しい日々を経験した。「当時は先発して、翌日抑えで、3戦目は先発で投げていましたからね。僕の時に(専任の)コーチがいてくれたら違ったのかなとも思いますし、ケガのつらさも分かっていますし、精神的なケアも出来ると思います」と自身の経験をふまえたアドバイスを心がけている。

 選手には意識改革を求めている。「ストライクゾーンだけで勝負しようとするから余裕がなくなるんです。例えば2ストライク0ボールから、平行カウントまではいいと思って投げていれば、ワンバウンドのボールを振ってくれるかもしれない。逆にいいところに落とそうと思って投げても甘くなって打たれたり、ボテボテでも野手の間を抜けたりする。そういった考え方を少しでも伝えたい」。自らも大学時代はがむしゃらに真っ向勝負を挑んでいた。抑えたこともあれば痛い目にもあった。力任せだけではないピッチングが出来れば視野が広がることも分かっている。

 「プロとアマチュアの差は紙一重の部分もあると思うんです。考え方を変えればその差を縮めることも出来ると思っています」。そのために、自分の経験を惜しみなく伝えている。技術だけでない、精神的なもの、それはプロ野球の経験に限らず苦労したサラリーマン生活も含まれる。「今までの人生を全部プラスに考えていますよ」と笑った。

 4月9日に東都大学春季リーグ戦が始まる。昨年秋に1部に昇格し、さらなる飛躍を目指して、母校の誇りを賭けた戦いに挑む。「僕は選手じゃないので、もう野球は出来ない。選手たちに頑張ってもらうしかないし、それを手助けしたい」。春の暖かな日差しを浴び金剛さんは優しく後輩たちを見つめている。(コンテンツ編集部・高柳 義人)

 ◆金剛 弘樹(こんごう・ひろき)1979年2月12日、埼玉生まれ。39歳。帝京では3年夏、甲子園優勝も背番号11で2試合出場(登板なし)。立正大では武田勝(元日本ハム)と同期。卒業後の01年に朝日生命に進むも同社の野球部が廃部となり、日本通運に移籍。04年のドラフト9位で中日に入団。プロ通算27試合、0勝1敗、防御率8・16。家族は夫人と2男1女。現役時代のサイズは181センチ、81キロ。右投右打。

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