元西武・石井貴さん、四国IL徳島監督として奮闘中

2018年8月8日12時0分  スポーツ報知
  • 徳島インディゴソックスの監督を務める石井貴さん。グラウンドだけでなくデスクワークも担う(徳島市内の球団事務所で)
  • 04年中日との日本シリーズ第1戦に先発、気迫の投球で7回無失点、勝利投手に

 闘志むき出しの投球スタイルから「投げる金剛力士像」と呼ばれた元西武の石井貴さん(46)が、四国アイランドリーグplus・徳島インディゴソックスの監督に就任したのは昨年12月。地域貢献とNPB(日本野球機構)への選手輩出を旗印に掲げ、初の監督業に奮闘している。高校野球の指導者が夢と語るルーキー監督は、選手とともに切磋琢磨(せっさたくま)する日々だ。

 若い選手と真剣に向き合っている様子がうかがえる。タンクトップ姿で現れた石井監督の体は、現役時代にも劣らないほど鍛えられていた。表情には充実感がにじむ。半年が過ぎた徳島での単身生活にも、すっかり慣れたようだ。

 「キャンプでよく高知に来ていたから、勝手に(四国に)縁を感じてね。緑は多いし、ご飯はうまいし、物価は安い。アパートは新築で20畳近くあるのに、駐車場代込みで月7万円。その辺のスーパーでも魚がうまいの。サラダ買って、ご飯炊いてね。最高ですよ」

 「いい経験になる」と監督要請を受諾。引退直後の08年から西武で2軍投手コーチを4年、1軍投手コーチを2年務めたが、同じ指導者でも監督の仕事はまた別物だったという。

 「独立リーグとはいえ、監督業は全く“景色”が違った。選手は当然、コーチ陣(の指導)も見なきゃいけない。いろいろ想定していたけど、なかなか思った通りに(人を)動かせなかった」

 パ・リーグの投手出身だけに、野手の扱いは不慣れ。

 「投手も野手も、は大変だね。使ったことのない野手の言葉を覚えなきゃいけなかったり。終盤に守備位置を寄せるとかの指示も、展開に追いつけずに出せなかった。昔、河田さん(現ヤクルト外野守備走塁コーチ)に『お前も野手のサインとか勉強しとけよ』と言われたことがあったけど、その時はピンと来なかった。今になって、詳しく聞いておけばよかったと」

 選手を「型にはめない」と心掛けている。

 「私もそうだったので“肝”だけ伝えて、後は自己流でやってもらった方がいいのかなと。弱いところを直そうとしても独立の選手には時間がない。コーチになって初めの頃、型にはめようとして、うまくいかなかったことも勉強になった」

 昨年、チームは年間総合優勝したが、主力投手と外国人選手が抜けた今季前半は首位から14ゲーム差の最下位に沈んだ。

 「独立の選手は(NPBの)スカウトにアピールしたいから、右打ちだとか、チーム打撃をあまりしたがらない。極端に言うと、本塁打ばっかり狙うみたいな。独立からNPBに行くには、足が超速い、守備が超うまい、とか特別なものがないとね。再三言ったけど、納得させられなかった。でも2か月間、練習期間があったので後期に期待したい」

 中に入って、独立リーグの厳しい環境を実感した。

 「カップ麺が選手の主食。でも『そんなの食ってんじゃねーよ』とは言えない。それぐらいしか買えないんですから。シーズン中の5か月しか給料は出ないので練習後にアルバイト。グラウンドが使えない週末は休み。雨の日は河川敷の橋の下で練習していますね」

 県民に関心を持ってもらい、地域の活性化につなげたい思いも強い。強豪の高校も多く、野球熱が高いように思える徳島だが、近年はサッカーに押され気味とあって広報活動には積極的に関わる。

 「観客は入っても100人ぐらい。お客さまを増やすには選手を野球教室なり社会貢献に派遣して(存在を)覚えてもらうしかない。私も名前が使える限り、どんどんやりたいと思います」

 現役時代は先発、中継ぎ、抑えと全ての役割を経験した。97年に10勝9セーブを挙げ、99年には自己最多の13勝。04年、中日との日本シリーズでは先発で2勝をマークしてMVPに輝いたが、日本ハムを逆転して優勝した98年シーズンが印象深いという。

 「あの年は前半戦で10ゲームぐらい開いたんだけど、ハムがコケてきて最後にまくっちゃった。終盤のダブルヘッダーで、昼にオツ(西口)、夜に私が先発して1日で一気にマジックを4つ減らしたんだけど、その前夜は2時間しか寝られなかった」

 肩痛と闘った現役生活だった。

 「球種が少なくて緩急もつけられなかったから、勢いで行けるブルペンの方が好きだった。毎日肩を作ることも苦じゃなかったし、自分も納得してやっていた。それでも2年目ぐらいに肩をおかしくして。30歳ぐらいでいよいよダメになって、痛み止めの注射を打ち始めたけど最後は効かなくなった。ただ、筋肉の勉強をする機会ができたし、逆に痛めてよかったなと」

 “勝ち方”を教わったのは東尾監督。

 「“下位打線には全力で投げない”とか“変化球はどの辺りに曲げて落とすか”など教わって勝てるようになった。“ずるい投球”も教わりましたね。ボークすれすれのけん制なんかを。おかげさまで、ボークの数(18)は歴代4位ですよ」

 森コーチ(現中日監督)には基礎を叩き込まれた。

 「森さんは『走った分だけ(自分に)返ってくる』という人で練習が厳しかった。走ることで“土台”もできますが、一番は『これだけ走ったんだから、ピンチが来ても乗り越えられる』という自信をつけさせるためなんだろうと。それは今の指導に生きています」

 西武の後輩、松坂(現中日)は今でも刺激を受ける存在だ。

 「1年目のキャンプ初日。球場に向かうバスで、彼は日経新聞を読んでたんです。18歳ですよ。すごいなと。俺は何やってんだろう、と反省して次の日から俺も読み始めた。いろいろ知りたいんでしょうね。いろんな球種を投げたがるし、新しいトレーニング法も取り入れたり、常に学ぼうとする姿勢を持っていた」

 37歳になっても、衰えない闘争心に感心する。

 「私は33歳ぐらいから向かっていく気持ちが少しずつ薄れてきた。まだそういう気持ちがあることがすごい。大したもんだね」

 しかし、野球への情熱は衰えることがない。かつて母校・藤嶺藤沢高の臨時コーチを務めたことはあるが、いずれ高校野球の監督をやるのが夢だという。

 「母校じゃなくてもチャンスがあればね。これまで野球で生きてきたので“還元”じゃないですけど、若い子に教えたい。やっぱり私には野球しかないんでね。甲子園? それは後々。監督になるのが難しかったら、教職(免許)も取っちゃおうかと」(取材・田中 俊光)

 ◆石井 貴(いしい・たかし)1971年8月25日、神奈川県綾瀬市生まれ。46歳。藤嶺藤沢高から三菱重工横浜を経て、93年ドラフト1位で西武入団。95年8月19日の近鉄19回戦(西武)で初先発初勝利。97年に中継ぎ、抑えを担って10勝9セーブをマーク。98年に先発で9勝を挙げ、優勝に貢献。99年、自己最多の13勝。00年も10勝。04年日本シリーズで2勝を挙げてMVP獲得。07年限りで引退。通算321試合、68勝58敗13セーブ、防御率3.78。球宴出場3度。08年から13年まで西武投手コーチ。17年12月、徳島監督に就任。

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