【BC栃木】村田、涙で「引退」表明 最後まで自分の野球貫いた“男”の全力疾走

スポーツ報知
涙ながらにファンに別れを告げた村田(カメラ・橋口 真)

◆ルートインBCリーグ 栃木8―8群馬(9日・小山市運動公園)

 巨人を昨季限りで自由契約となり、ルートインBCリーグ・栃木でプレーしていた村田修一内野手(37)が9日、今季最終戦(対群馬)に出場。試合後のセレモニーで正式に現役引退を表明した。「4番・三塁」でフル出場したラストゲームは5打数1安打。最後まで全力プレーとチームプレーを貫き、16年間の現役生活にピリオド。今後については未定としたものの「いつかみなさんと笑顔でお会いできたら」と指導者などの形で球界に携わる意向を示した。

 「今日をもって私は…現役を引退します」

 涙で声を詰まらせながら、ついに男・村田は“封印”していた2文字を口にした。

 巨人を戦力外となり、現役続行の道を求めて選択した独立リーグ。7月末でNPBの補強期間が終わると、翌8月1日には去就について会見した。しかし、その時は「その2文字は使いたくない」と、あえて口にしなかった「引退」。残りシーズンを選手として全うし、ファンに自らの声で伝えるためでもあった。

 「まだできる」「言わないで」―。ファンの悲鳴にかき消されながら、約10分のスピーチは続いた。チームや若き仲間たちへ、長い現役生活を支えてくれたファンへ、そしてスタンドで最後の雄姿を見届けた絵美夫人(37)、長男・閏哉(じゅんや)君(12)、二男・凰晟(こうせい)君(9)、三男・瑛梧(えいご)君(3)ら家族への感謝を何度も繰り返した。

 感謝の思いはプレーでも表した。最終打席の9回無死一塁。代名詞でもあるアーチ狙いではなく「何とか走者を進めたかった」と右方向狙いの一ゴロ。これまた代名詞の併殺打もあり得る当たりだったが「ゲッツーにならないように一生懸命走りました」。チーム最優先の全力プレー。「最後までそういう野球をしようと心がけました」。小3で野球を始めてちょうど30年。「本当にいろいろな方に支えられた」と瞳を潤ませた。

 今後については「整理がついていない。家族と話し合いたい」という。「息子たちを一人前の男に育てる」と父親業にも力を入れる。凰晟君は「村田2世」を目指して野球を始めた。だが、“後継者”は息子たち以外にも大勢いる。「今日、球場に来た野球少年が『村田みたいになりたい』と思ってくれたら幸せ。そういう子どもたちのためにも、今までやってきたことをしっかり伝えられるようになりたい」と指導者の夢も語った。バットを置いても男の野球人生には、まだまだ続きがある。(星野 和明)

 ◆村田 修一(むらた・しゅういち)1980年12月28日、福岡県生まれ。37歳。東福岡3年時に投手として甲子園に春夏連続出場。日大で内野手に転向、02年ドラフト自由獲得枠で横浜(現DeNA)入団。07、08年本塁打王。08年北京五輪、09年第2回WBC日本代表。11年オフにFA宣言して巨人へ移籍。三塁でベストナインを4度、ゴールデン・グラブ賞3度受賞。17年限りで巨人を自由契約となり、今季からBC栃木に所属。177センチ、92キロ。右投右打。家族は絵美夫人と3男。

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