【独占激白!松井秀喜】〈10〉長嶋監督に断られたサード転向希望

2018年1月25日16時0分  スポーツ報知
  • 長嶋監督の前で豪快なフリー打撃を披露した松井(1993年の宮崎キャンプ)

 巨人、ヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏(43)=ヤンキースGM付特別アドバイザー=が史上最年少43歳7か月で野球殿堂入りを果たした。日米通算507本塁打を放った松井氏は、史上最多336票を集め、野茂英雄氏の45歳4か月を抜いて、史上最年少で選出された(プレーヤー表彰)。スポーツ報知では、松井氏の殿堂入りを記念して、「独占激白!松井秀喜」を連載する。

 2013年5月に国民栄誉賞をともに受賞した巨人・長嶋茂雄終身名誉監督(81)=報知新聞社客員=への思いを受賞時の独占インタビューから振り返る。

 ―長嶋監督から若いころに「将来は日本の4番になれ」など具体的に何か言われたことは。

 「まったくないですね。言われて覚えているのは一度だけです。97年のシーズンが終わった後、秋季練習の時でした。『監督、サードやりたいんです』って言ったら『ダメだ』って(笑い)。『おまえにセンターをやらしたいんだ。ジョー・ディマジオのような選手になってほしいんだ』。そう言われました」

 ―そんなにサードがやりたかったんですか。

 「僕にとってはサードの方が面白いですから。高校の時もサードでしたしね。でも、監督の中で僕はサードじゃなかったんですね」

 ―松井さんは今や、長嶋さんと何かと比較される存在です。自分が長嶋茂雄のようになる、あるいはなれる。そう思ったことはありますか。

 「比較されるのは仕方ないし、するのは自由ですが、無理ですね。あの存在にはなれない。というか、誰もなれない。数字で超える人はいても、存在を超えられる人はいない。二度と現れない人間だと、僕は思っています」

 ―引退して長嶋さんとの関係が変わったことはありますか。

 「(国民)栄誉賞の時もそうでしたが、自分から連絡できるようになりました。これは引退してから変わったことです。それまでは、自分からは絶対、連絡できなかった。自分のために時間を取ってもらうのは悪い。そう感じていましたから。ようやく普通に話せるようになりました。僕にとっては、不思議な感じですね」

(聞き手・鈴村 雄一郎)=終わり=

 ◆松井 秀喜(まつい・ひでき)1974年6月12日、石川県生まれ。43歳。星稜高時代、甲子園4度出場。92年夏の甲子園では5連続敬遠され、社会問題にまで発展。高校通算60本塁打。92年ドラフト1位で巨人入団。リーグMVP3度、首位打者1度、本塁打王、打点王各3度獲得。03年にヤンキースへFA移籍し、09年ワールドシリーズで3本塁打を放ちMVP。エンゼルス、アスレチックス、レイズを経て12年限りで現役引退。13年に巨人・長嶋茂雄終身名誉監督とともに国民栄誉賞受賞。15年にヤンキースGM付特別アドバイザー就任。日本通算1268試合、打率3割4厘、332本塁打、889打点。日米通算2504試合、打率2割9分3厘、507本塁打、1649打点。

独占激白!松井秀喜
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