神宮初出場の札幌大谷・船尾監督を直撃 足で奪った代表枠 上原、由伸とつかんだ世界一

2018年11月6日14時0分  スポーツ報知
  • 秋季北海道大会を制し、胴上げされる札幌大谷・船尾監督

 高校野球の秋季北海道大会では札幌大谷が創部10年目で初優勝を飾り、9日開幕の明治神宮大会に初出場する。2014年12月から指揮を執る船尾隆広監督(47)は、函館有斗(現・函館大有斗)時代に2度の甲子園出場を経験。社会人では1997年IBAFインターコンチネンタル杯に日本代表として出場し、常勝・キューバを倒して世界一に貢献した経歴の持ち主だ。就任4年目で北海道王者に導いた指揮官の根底にある指導理念に迫った。(取材、構成・清藤 駿太)

 待ちに待った光景が目の前に広がった。創部から節目の10年目。悲願だった秋季北海道大会を制し、マウンド上では歓喜の輪が作られた。手塩にかけてきた子供たちが、何度も体をぶつけ合い喜ぶ。その光景を一塁側ベンチから、船尾監督は静かに見つめていた。

 「優勝したのか、最初は実感が湧かなかった。学校にたくさんの花や祝福の連絡を頂いて、ようやく実感が湧いてきている。喜んでくれる人がたくさんいたのが、うれしかった」

 北海道大会は4試合中、3試合で逆転勝ち。準決勝の駒大苫小牧戦、決勝の札幌第一戦はともに、最大4点差をはね返す粘り強さで頂点へ駆け上がった。

 「ずっと、やりたかった野球がようやくできた。特に駒大苫小牧戦。選手も“絶対に逆転できる”という目つき、顔つきになっていた。そのまま負けるという雰囲気はなかった」

 駒大苫小牧戦では北本壮一朗遊撃手(2年)が3回の走塁で左肩を脱臼して途中交代。だが、ここで起用された小関慎之介遊撃手(1年)が攻守で主力の穴を埋める活躍を見せるなど、選手層の厚さが光った。

 「選手には常々、競争をしなさいと言ってきた。今の子たちは競争がどういう意味か分からない。“みんなでやりましょう”という教育を受けてきたから。自分の武器は走攻守どれなのか? それを理解しないと、自主練習でも何をしていいか分からない。一人一人に話すことで分かってくれる」

 14年12月に同校監督に就任してからは、選手間の競争を促し、ライバル心を植え付け、チーム力の向上を図ってきた。それは、かつて船尾監督自身が選手時代に培ってきたものだ。中学時代は無名だった指揮官は、甲子園常連校・函館有斗に一般受験で飛び込んだ。

 「僕は田舎の中学で野球も強くなくて、どこの高校からも声が掛からなかった。ただ、小さい頃に甲子園に出場した函館有斗をテレビで見ていて、両親には『俺は有斗しか行かねー』と。両親も半分、諦めていた。当時2学年上に盛田幸妃さん(故人)がいてね。うまい人ばっかりだったし、今もよく行ったなと思う」

 入学当初は1学年30人ほどが入部。強豪中学から多くの有望選手が集まった中で、反骨精神は生まれた。

 「周りはほとんど特待生だった。僕は一般受験だから、特待生には絶対に負けたくない。長距離走でも1番を取ってやる、という思いでずっとやっていた」

 同学年の厳しい競争を勝ち抜くため、自分の生きる道を探した。それが、100メートル11秒台の「足」だった。

 「とにかく、足だけは速かった。内野手で入学したんですけど、当時の上野美記夫監督から『お前、足速いな。外野行け』と。両親に内野手用のグラブを買ってもらったばっかりだったんですけど…。『はい!』としか言えなかったですよね(笑い)」

 だが、上野監督に脚力を評価され、1年夏で左翼手に抜てきされた。2年春のセンバツは、中堅手の不動のレギュラーとして出場した。その後、社会人でも新日鉄室蘭、NTT北海道(ともに廃部)で活躍。97年インターコンチネンタル杯では日本代表にも選出された。

 「代表の選考合宿はそうそうたる顔ぶれだった。当時は大学生だった高橋由伸や、上原浩治らがいて。プロのスカウトも連れてきていた。僕なんて『君、誰?』の世界ですよ。どう考えても俺の技術、体力じゃ厳しいかなと思った」

週刊報知高校野球
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