【福島】磐城、23年ぶり甲子園へ エース・小山泰生、打倒・聖光へ「必ず隙はある」

スポーツ報知
クールなエース・小山は静かに闘志を燃やし、甲子園を狙う

 磐城(福島)は、最速139キロ左腕のエース・小山泰生(3年)を筆頭に全力プレーで戦い抜く。小山は1年春からベンチ入りし、主力を担ってきた。チームが掲げる目標は「日本一」。1971年に準優勝を果たした偉大な先輩たちを超えるため、頼れる背番号1が23年ぶりの聖地を狙う。

 力強く放たれた球がミットをたたき、磐城のグラウンドに心地よい音が響いた。最速139キロ左腕のエース・小山は「自信はついてきた。あとはいつも通りの力が出せるかどうか」。静かに闘志を燃やし、投げ込んだ。

 度重なるケガを乗り越え、万全の状態で最後の夏に臨む。1年秋には筋肉の強さに骨が耐えられず腰を骨折。思うように練習ができないまま、2年の春にも腸骨を骨折し、苦しんだ。「体幹、バランスを気にして練習してきた」と体のケアに努め、昨夏以降は大きなケガなく体を鍛え抜いてきた。

 入学時から体重は60キロから70キロへとアップ。「今春くらいから体の動きとプレーがフィットしてきた」。縦横のスライダーとカーブに加え、新球種のカットボールも習得。「自分の持ち味はストレートのキレ。変化球でそれを生かす」と自信をのぞかせた。

 今年の春季県大会では光南との3位決定戦で13回無失点完封でチームを東北大会に導いた。木村保監督(47)は「この試合で一皮むけてくれた」と小山への信頼を深めた。

 1971年夏の甲子園で磐城は、準優勝。指揮官は「偉大な先輩たちを超えていく」と目標を日本一に設定し、「Play Hard」と全力疾走、全力プレーを掲げている。進学校の同校の放課後練習時間は約2時間。選手たちはそこに全身全霊を懸けている。

 最大の壁は、順当なら準決勝でぶつかる夏の大会11連覇中の聖光学院だ。小山は「同じ高校生、必ず隙はある。倒して甲子園に行きたい」と言葉に力を込めた。絶対王者を超え、23年ぶりの聖地の切符をつかんでみせる。(小林 泰斗)

 ◆小山 泰生(こやま・たいせい)2000年6月30日、福島・いわき市出身。18歳。小1で野球を始め、磐崎中で軟式野球部に所属。中3の夏、全国ベスト8。「勉強も頑張りながら、甲子園を狙いたい」と磐城に入学。投手として1年春からベンチ入り。秋からエース。177センチ、70キロ。左投左打。家族は両親、妹。趣味は音楽鑑賞。

 ◆磐城・過去の甲子園

 春2度、夏7度の計9度出場。1963年夏に初出場、3回戦敗退。1971年夏は165センチと小柄ながら「小さな大投手」と呼ばれた田村隆寿投手を擁し、準優勝。田村の失点は決勝の桐蔭学園戦の1失点のみと圧巻の投球で、春夏を通じて福島勢唯一の決勝進出を果たした。1995年に7度目の夏の甲子園に臨んだが初戦敗退。それ以降は、聖地から遠ざかっている。

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