16人の名将の言葉力、説得力、失敗学に注目…「私の高校野球」の味わい方

スポーツ報知
「私の高校野球」

 専門誌「報知高校野球」の名物連載「私の高校野球」が書籍化され、17日に発売となる。「私の高校野球」は同誌で1979年にスタートし、指揮官が青春時代や指導者人生の裏側にあった栄光や挫折を余すことなく語った人気の読み物。書籍では過去200回の中から名将16人の「生の声」が収録されている。池田・蔦文也氏、箕島・尾藤公氏、沖縄水産・栽弘義氏ら故人が遺(のこ)したメッセージも含まれた一冊を、どう味わうべきか。「流しのブルペンキャッチャー」ことスポーツライターの安倍昌彦氏(63)らが寄稿した。

 ■流しのブルペンキャッチャー・安倍昌彦氏は

 見れば見るほど、おそれ多い顔ぶれである。

 何度か親しくお話をうかがったことのある監督さんもおられれば、その圧倒的な存在感に、私ごときではとてもじゃないが近寄りがたい監督さんも、何人もその名を連ねる。

 興南・我喜屋監督には、一度だけ沖縄でお話をうかがったことがあるが、有名な「五感で感じる早朝散歩」をはじめとして、聞いていてこちらの心にじんわりと染み渡ってくるようなお話をされる方だ。その章の中に、このような一文がある。

 「世の中には『抵抗』が常にあります。それに跳ね返されていてはどうしようもないので、乗り越えなければなりません。乗り越えるには、『抵抗』に『慣れる』ことです」

 読んでいて、ハッとさせられた。

 確かにそうだ。人間には誰でも、「慣れる」というとてもありがたい機能が搭載されているのだ。慣れることで乗り越えていける。そう考えれば、大抵のことは乗り越えていけそうじゃないか。

 常々、高校野球監督ほど「合わない商売」はないのではないか…と私は思っている。

 さまざまなものを犠牲にして人の子のために尽くし、それでもヘンな負け方でもすれば責められるのは監督であり、いったん不祥事でもあれば、寝耳に水の出来事でも責任を問われて、場合によっては職を追われる。

 「指導者」という肩書がついているのだから、何かを教えなくてはならない…と思ってしまう。

 教えれば改善に向かうのだろうと期待するが、なかなかそうはならない現実にいらだちがストレスとなって蓄積すれば、何かをきっかけに暴発して「不祥事」という顛末(てんまつ)にもなりかねない。

 以前、ある著名な監督さんがこんなことをおっしゃっていた。

 「今の生徒たちは、僕たちが生徒だった頃とは違って、偏差値も高く頭もいい。練習だって、僕がああだこうだ言うより、彼らの思う通りにやらせてあげた方が効果が上がる。実際、伸びてますよ」

 そうは言っても、陰でいろいろとフォローはされているのだろうが、何もしないのも「手」なのでは…と気づかせていただいたこともある。

 与えすぎると、人は痩せていく。

 これも、「指導」の現場の現実なのかもしれない。

 本書では、16人のベテラン指導者の方たちがお話をしてくださっているが、この国の高校野球には、チームの数だけ「指導者」がいて、日夜思い悩み、心を砕き、体を張って「高校野球」の発展に身をささげている。

 この国には、世界に認められた「高校野球」という独自のスポーツ文化が存在するが、それに寄り添うように「高校野球監督」という人的文化も、また潜在しているのかもしれない。

 ■「報知高校野球」日比野哲哉編集長は

 高校野球ファンには、いつ掲載されたものかを、まずチェックしてもらいたい。高校野球専門誌「報知高校野球」で40年目、200回を数える長期連載の中から名将16人を厳選して再録した。そのうち8人は現在も現役監督。残る8人のうち駒大苫小牧の香田元監督は社会人野球の西部ガス監督に転身、沖縄水産の栽元監督、池田の蔦元監督、箕島の尾藤元監督は他界しているが、全員が高校監督時代に語ったものだ。

 それぞれに記載してある掲載号を確認し、どんな時かを把握してから読むと、より楽しめる。香田元監督は05年1月号、早実の和泉監督は07年1月号、佐賀北の百崎監督は08年1月号、興南の我喜屋監督は10年7月号。いずれも甲子園優勝直後だが、その後に香田監督は夏連覇、我喜屋監督は春夏連覇する。

 大阪桐蔭の西谷監督は08年3月号で、まだ全国制覇前。その年の夏から今春までに春3度、夏3度の甲子園制覇を成し遂げる。歴代最多の甲子園通算68勝を誇る智弁和歌山の高嶋監督は94年1月号で、この時点では前年夏に挙げた甲子園初勝利を含む2勝だけだが、直後のセンバツでは甲子園初Vを成し遂げている。

 池田の蔦元監督は81年5+6月号で、この時点の甲子園最高成績は春夏とも準優勝だが、82年夏と83年春を連覇する。箕島の尾藤元監督は87年3+4月号で、既に甲子園を4度制している。何を成し遂げ、どこを目指している時で、その後どうなったかが分かれば、説得力も増すはずだ。

 ■スポーツ報知・加藤弘士野球デスクは

 日本のロック界の礎を築いた早川義夫さんのアルバムに「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」という名盤がある。「私の高校野球」全280ページを読み終えた私の脳裏に早川さんのボーカルが流れ、こんな感想を抱いた。「かっこ悪いことはなんてかっこいいんだろう」と。

 この本に収録されている16人は、いずれも高校野球の歴史で確固たる実績を残した名指揮官である。しかし、力を込めて語られるのは成功体験よりも、そこにたどりつくまでの挫折、失敗、困難、下積みの数々だ。

 誰もが認める新時代の名将、大阪桐蔭の西谷監督は報徳学園の3年夏、後輩の不祥事でチームは公式戦に出場できなかった。甲子園最多勝を誇る智弁和歌山の高嶋監督は智弁学園の指揮官時代、当時の主将がナインを引き連れ、練習をボイコットする事態に見舞われたという。帝京の闘将・前田監督は46年前の就任時、「俺はお前たちを必ず甲子園に連れて行く」と宣言すると部員一同に大笑いされ、猛特訓の結果、部員は三十数人から4人に減ったと語る。

 これらの証言はどこまでも泥くさく、汗くさく、人間くさい。現状を打破し、目標を成し遂げるためには、傷つくことは避けられないのだと痛感させられる。そして、体当たりで人間にぶつかっていくその必死な姿は、見ている者の胸を打つ。

 野球に限らず、指導者として殻を破りたい方や、教えることを志す方にとっても、先人の残した数々の「失敗学」は最高の教科書になるだろう。100回目の夏。16人の流した汗と涙に心からの敬意を表しながら、じっくりとページをめくり、言葉をかみ締めたい。

 ◆「私の高校野球」 1978年創刊の高校野球専門誌「報知高校野球」で79年から続く長期連載。高校野球の監督が一人称で自身の野球人生、野球哲学、指導論、人生論などを語っている。第1回は豊見城(沖縄)の栽監督(当時)。発売中の今年7月号で200回を迎えたことと、夏の高校野球100回大会を記念して初めて書籍化した「私の高校野球」には、厳選した名将16人の回を再録した。

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