【香川】第1回出場校・高松、第100回に王手

スポーツ報知
8回2死一、二塁、2点適時三塁打を放った高松・土田(左)は、三塁塁上で両手を広げガッツポーズ

◆第100回全国高校野球選手権記念香川大会 ▽準決勝 高松7―6観音寺一(21日・レクザム)

 香川では、1915年の第1回大会に出場した伝統校の高松が観音寺一に逆転勝ち。1934年を最後に遠ざかっている選手権大会出場に「あと1勝」とし、夏の最長ブランクとなる84年ぶりの出場に王手をかけた。北大阪では、史上初の2度目の春夏連覇を狙う大阪桐蔭が、今秋ドラフト1位候補の4番・藤原恭大中堅手(3年)の満塁弾などで5回コールド勝ち。南埼玉では、浦和学院がプロ注目の190センチ右腕・渡辺勇太朗(3年)の好投で決勝進出を決めた。

 84年ぶりとなる夏の甲子園に王手をかけた。高松が逆転勝ちで64年ぶりに決勝に進出した。

 第1回の全国大会に出場した古豪が第100回記念大会でミラクル進撃だ。8回に2点差を追いつき、なおも2死三塁。石田茂登監督(49)の長男・公平捕手(3年)が勝ち越しの左前タイムリー。「粘って甘い球を打つ、本来の持ち味が出せた」。石田監督は「とにかく選手のおかげ。勝因は選手の集中力しか言いようがない」と称賛した。3回戦は高松商に延長10回に5―3で粘り勝ち。続く準々決勝(対琴平)は4―7の9回に4点を奪って逆転サヨナラ勝ち。この日も2点差をひっくり返した。

 高松中時代に、1915年の第1回全国中等学校優勝大会(豊中)に出場した10校の1つで、26年と28年夏は4強に進出した。28年のメンバーだった故・三原脩は巨人、西鉄、大洋の3球団で監督として優勝。独特な野球観に基づく采配は“三原マジック”と呼ばれた。穴吹義雄・元南海監督(85)も同校のOBだ。

 2005年センバツに21世紀枠で出場したが、夏の甲子園は1934年(8強)を最後に遠ざかっている。夏の甲子園の最長ブランク出場は、70年ぶりだった09年の関西学院(兵庫)。春は82年ぶりだった15年の松山東が最長。高松が22日に丸亀城西との決勝戦を制せば、記録を大幅に更新する84年ぶりとなる。「どこが来ても、自分たちができることをするしかない」と石田。第1回出場校が第100回に登場すれば、これ以上のドラマはない。

 ◆第1回全国中等学校優勝野球大会 1915年8月に大阪・豊中球場で開催された。東北(秋田中)、東海(山田中)、京津(京都二中)、関西(和歌山中)、兵庫(神戸二中)、山陽(広島中)、山陰(鳥取中)、四国(高松中)、九州(久留米商)の各地区予選を勝ち抜いた9校と春の東京優勝の早稲田実の10校が出場した。高松中は初戦(準々決勝)で京都二中(現・鳥羽)に0―15で敗退。決勝は京都二中が延長13回2―1で秋田中を破って優勝した。

 ◆1934年の世相 ヒトラーがドイツ総統に就任。渋谷駅前にハチ公の初代銅像が完成。夏の甲子園は、呉港中(広島)がエース・藤村富美男(のち阪神)の活躍で、川上哲治の熊本工を決勝で下して全国制覇。11月にベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグらを擁する米大リーグ選抜が来日。日本選抜は沢村栄治、三原脩、ビクトル・スタルヒンらで戦ったが16戦全敗。これをきっかけに12月に日本初の職業野球チーム「大日本東京野球倶楽部(現・巨人)」が発足した。

野球

×