星稜第3期黄金時代を作る「狙って全国制覇」…林和成監督インタビュー

スポーツ報知
2回戦で済美に敗れ、涙で甲子園を後にした星稜ナイン

◆第100回全国高校野球選手権記念大会第8日 ▽2回戦 済美13x―11星稜=延長13回タイブレーク=(12日・甲子園)

 第100回全国高校野球選手権(甲子園)に2年ぶり19度目の出場を果たした石川代表・星稜の林和成監督(43)が17日、金沢市の同校グラウンドで「とやま・いしかわ報知」のインタビューに応じた。OBの松井秀喜氏(44)の始球式が行われた開幕戦、延長13回の死闘となった済美(愛媛)戦を振り返るとともに、多くの主力選手が残る新チームでは「狙って全国制覇を取る」と高い目標を掲げ、「星稜第3期黄金時代」の到来を目指すことを誓った。(取材・構成 勝田 成紀)

 わずか2試合だったが、記憶に刻まれる濃密な「夏」だった。松井氏の始球式が行われた開幕戦。これ以上ない舞台で、100回大会の幕開けを勝利で飾った。

 「(三遊間を組んだ1年先輩の)松井さんと再び甲子園で一緒にいられるなんて、一生ないと思っていた。始球式は雲の上にいるような感じで、幸せな気持ちで見ていた。校歌も『歌うぞ』と言われてはいたが、あんなに大きな声で歌ってくれるとは。勝利を届けられて、感慨深い」

 2回戦は延長13回タイブレークの末にサヨナラ逆転満塁弾で涙をのんだ。しかし、1979年大会3回戦の箕島(和歌山)との延長18回の死闘、92年大会2回戦・明徳義塾(高知)戦での松井氏の5打席連続敬遠に続き、敗れてなお甲子園の歴史に刻まれる名勝負を繰り広げた。

 「力を出し切った試合だった。感動を与える試合ができたことに関しては『負けて悔いなし』という思いもある。ただ勝てた試合だったという後悔もあるし、100回大会で新調された優勝旗も夢ではないと思った。今度は勝って、歴史を塗り替えたい」

 敗戦の夜。宿舎で行われた“ラストミーティング”で、指揮官は「1曲歌ってええか?」とかりゆし58の「オワリはじまり」をナインに贈った。涙交じりの歌だった。

 「歌詞にある『一生忘れないような出来事に出会えたかい』という言葉を一番伝えたかった。ミーティングで歌ったのは初めて。何をしゃべるかは考えていなかったが、みんなの目を見ながら、歌おうと思った。15万人以上の高校球児がいる中、100回大会の開幕戦で勝利して、球史に残る大激闘もできた。本当によく頑張ったご褒美だと思う」

 新チームには、150キロ右腕・奥川恭伸、山瀬慎之助(ともに2年)のバッテリーら甲子園のスタメンのうち5人が残る。

 「しっかり狙って全国制覇をしたい。今までは、全国制覇はぼんやりとした目標だった。この夏で、届かない位置ではないと感じることができた。全国制覇を狙って甲子園に乗り込めるチームを作りたい」

 グラウンドの一塁側ベンチのホワイトボードに「星稜第3期黄金時代をつくる」と記されている。「第1期」は70年代。72年夏に甲子園初出場を果たし、76年夏に4強進出。79年夏には春夏連覇を達成した箕島と激闘を繰り広げた。「第2期」は90年代。91年夏に松井氏を擁して4強入り。95年夏に県勢初の準優勝に輝いた。来春のセンバツでは、24年ぶりの3季連続甲子園出場を目指す。

 「まだまだ黄金時代とは言えない。甲子園で春夏連続でベスト8以上の成績を残すようでなければ。この学年が足がかりは作ってくれたと思うので、『第3期黄金時代』を築けるようチャレンジしていきたい」

 ◆星稜の新チームの戦力 奥川、山瀬のバッテリーをはじめ、3番・内山壮真遊撃手(1年)、1番・東海林航介左翼手、9番・山本伊織二塁手(ともに2年)の甲子園スタメン5人が新チームに残る。投手陣は奥川以外にも、藤蔭戦で143キロを記録した右腕・寺西成騎(1年)、済美戦でタイブレーク突入まで4回1安打無失点と好投した左腕・寺沢孝多(2年)、甲子園メンバーからは外れたが昨秋のU―15侍ジャパンで活躍した右腕・荻原吟哉(1年)ら好投手がそろう。林監督は「打線は長打力が一つの課題。奥川と山瀬には打撃でも中軸になるよう期待したい。投手陣は、奥川抜きでも石川、北信越大会を戦えるぐらいの力を求めたい」と話した。

 ◆林 和成(はやし・かずなり)1975年7月23日、金沢市生まれ。43歳。星稜高では2番・遊撃手として松井秀喜氏と三遊間を組み、91年夏、92年春夏と甲子園出場。日大では準硬式野球部で全国大会優勝。98年に星稜高コーチに就任し、04年に部長、11年から監督。監督としての甲子園出場は、13、14、16、18年夏と18年春の5度。

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