「甲子園という病」著書が問題提起 勝利至上主義から球児の体を守れ

スポーツ報知
甲子園は夢舞台。光があれば「陰」もある。未来への改善策がつづられている

 スポーツジャーナリストの氏原英明さん(41)の著書「甲子園という病」(新潮新書・税別720円)が野球ファンを中心に話題を呼んでいる。夏の甲子園は100回大会が空前の盛り上がりを見せたが、「陰」の部分にスポットを当て、指導者やファン、メディアを含めた大人たちが「甲子園中毒」に陥ってはいないかと問題提起する。入魂の一冊に込めた思いを聞いた。(構成・加藤 弘士)

 甲子園大会が正気を失っているのでは―。氏原さんが高校生投手の登板過多や肩肘の問題に疑問を抱いたのは、2008年夏の甲子園がきっかけだった。決勝で大阪桐蔭に敗れ、準優勝した常葉学園菊川(現常葉大菊川、静岡)のエース左腕は左肘のじん帯を痛め、痛みの中で先発し、3回5失点とKOされた。

 「これはおかしいと思ったんですが、当時、疑問を呈する風潮は全くなかった。いろんな編集者に『これはちゃんとしないといけないですよ』と言っても相手にされなかった。『高校野球は変わらないから、そんなことよりスーパースターの取材をした方がいい』と…。このままじゃいけないと思っていたら13年、安楽の問題が出てきたんです」

 13年センバツ。済美(愛媛)の2年生エース・安楽智大(現楽天)が3日間の連投を含む5試合で772球を投げ、右肘痛に見舞われた。米メディアは「正気の沙汰ではない」と報じた。

 「あれで世間の流れが変わった。きっかけは日本の野球界からではなく、外からの声。なぜみんな言わないかといえば、立場がある。もっとプロ野球選手が言ってもいいのにと思いますが…。朝日新聞の人だって、今のままじゃ良くないと多分思っている。でも自分たちからは言えないし、高野連もなかなか踏み切れない。だから僕が言うしかない」

 MLBスカウトは甲子園でのエース酷使を「Child abuse」と評する。「児童虐待」という意味だ。楽しい夢舞台のはずなのに、なぜこのような問題が起こるのか。氏原さんは大人たちが「甲子園中毒」に陥っていると言う。

 「みんな甲子園を中心に多くを語るじゃないですか。だから問題があっても『甲子園で勝っているから、いいじゃない』と片づけられる。全てが『甲子園で勝つ』ことで正当化されてしまう。冷静であるべき大人が、熱に浮かされているんです」

 ある程度の部員数を擁する野球部であれば、実力の差こそあれ、複数の投手がいる。だが高校球界を覆うのは「エースが多く登板しなくてならない」という空気だと、氏原さんは語る。

 「6月の追い込み時期は特にそうなります。強豪相手の練習試合では『エースを出さないのは失礼』というのもある。プロのスカウトから『視察に行きたい』と連絡が来れば、監督は『ぜひ見てほしい』と思うわけです。例えば公立校にすごい投手がいたとする。家計的にも苦しくて、何とかプロに行かせたい。プロのスカウトが『明日見に行きたいんです』となったら『じゃあ投げさせます』となる。これが大阪桐蔭なら、スカウトが『投げる時に行きますから』となるんですが…。そういう仕組みを作っているのは誰か? 全部、大人の責任です。『今は痛みがあるから投げさせていません』『その日は投げる予定はないですが、この日は投げる予定です』と大人がきちんと言ってあげればいいと思うんです」

 なぜ監督は、けがをしていてもエースを使うのか。氏原さんの見解はこうだ。

 「2番手以降の投手を出して負けた時、周囲から『なぜエースを使わないんだ。監督は勝利を捨てたんじゃないか』と言われるのが嫌なんです。勝つために全力を尽くす。その姿勢を出さないといけないと思い込んでいる。でも冷静に考えたら、けが人を出したら、むしろ批判されるべきです。でも高校野球だと『彼はけがを押して頑張った』という報道になる。観衆も痛みの中でマウンドに上がり、降板した投手に拍手している場合じゃない。本来は『何てことをするんだ』とブーイングすべきです」

 「痛みに耐えて熱投」「監督、エースと心中」―。駆けだしの記者のころ、私もそんな記事を書いた記憶があるだけに、胸が痛む。

 「甲子園に行かないと、甲子園で勝たないと認められないと、みんな思い込んでいる。結果を出さないと大きなことを言えないのは事実ですが、そこには信念や『何のために野球をやるのか』『高校生の部活動は何のためにやるのか』というものがないんです」

 「ルールで選手の体を守るべき」への反論として見受けられるのが「高校球児全員がプロを目指しているわけではない」との声だ。

 「僕は、プロに行くから体を守れと言っているんじゃない。10代の体を守れ、なんです。高校球児が『燃え尽きたい』と言っているのは、精神的な話でしょう。肩や肘が壊れても投げることが『燃え尽きる』じゃない。一生懸命努力したことを、負けちゃったけど発揮しましたということであって、肩肘の痛みがひどくて潰れるまで投げることが『燃え尽きる』じゃありません。その限度を探すのは指導者の役目。『これ以上投げたら、潰れるかも』という線引きは絶対、勉強しておかないといけない。『知らなかった』は教育者として最低です」

 「150球投げて、それまではけがをしないかもしれないけれど、今後どこかでけがをするかもしれない。リスクが高まっていたと知らないという人は、野球の指導に携わるべきではない。危険なのは米国からも伝えられ、常識です。逆に言えば『こいつは高校で野球をやめるから、潰れていい。肩肘が壊れてもいい』というのは間違いなく虐待です」

 勝てばいい―。その思想が高校野球を息苦しくしてはいないかと問題提起する。

 「勝利至上主義がダメだというと『スポーツは勝つから楽しいんだ』と反論されます。でも、勝つことと勝利至上主義は別です。勝つことを目指すのは当たり前。でも勝利至上主義というのは、負けることには何の意味もないと考える思想のことです。だから『勝つために何をやってもいい』と5敬遠してしまう。投げる投手と、打つ打者の楽しみを奪います。例えばあの投手が松井秀喜さんと勝負して、2本塁打を打たれていたら、プロに行っていたかもしれない。対戦して負けたから、悔しさが芽生え、強打者を抑えるにはどんな投手にならなきゃいけないかを学び、未来へのヒントが得られたかもしれない。試合には勝ったけど、勝負をしていないから、何も得られていない。これじゃ何のために甲子園があるのか、分かりません。指導者が『勝てば何をしてもいい』になってしまっている」

 勝利から学び、敗戦から学ぶ。そんな「学びの場」になってほしいと願う。

 「『試合』とは読んで字のごとく『試し合い』なんです。鍛えてきたことを試し合って出して、負けたら『足りませんでした』、勝ったら自信にすればいい。それを『負けないように負けないように』と大人がもっていってしまう。そこに『負けないようにしないといけないから、勝ちにこだわっている姿勢を見せよう』というのがエースの登板過多の正体です。2番手が投げました。負けました。それは絶望なのか。そんなことはない。2番手は貴重な経験をした。それを世間が『あんな投手を出すから負けたんだ』とか言うから、おかしくなる。2番手を出して何が悪いんだって話ですよ。勝利至上主義を、取っ払わないといけませんね」

 ◆氏原 英明(うじはら・ひであき)1977年3月23日、ブラジル・サンパウロ市生まれ。41歳。大商大高、奈良大社会学部卒。奈良新聞記者を経て、2004年に独立。プロアマを問わず野球界を幅広く取材している。

野球

×