「持続可能な」野球人の育成を目指して 創部127年の伝統校・水戸一の現在地

スポーツ報知
水戸一の創立140周年記念試合・作新学院戦で優秀選手賞に輝いた水戸一・蒲原選手(右)と作新学院・池田選手

 「学生野球の父」こと早大野球部初代監督・飛田穂洲を輩出した名門進学校・水戸一(茨城)が18日、2016年の夏の甲子園優勝校・作新学院(栃木)を招いてノーブルホームスタジアム水戸で「創立140周年記念試合」を行った。0―10で完敗したが、飛田が唱えた「一球入魂」の精神は今もなお継承され、ナインは全力プレーを貫いた。スポーツ推薦制度のない県立進学校だが、1954年夏以来の甲子園出場を願うOBの声は大きい。伝統校の「いま」に迫った。(加藤 弘士)

 完敗だった。それでも水戸一ナインの心は折れることがなかった。強豪・作新学院の打線に17安打を浴び、10失点しながらも、最後まで声をからし続け、ユニホームを真っ黒にしながら懸命に戦った。得点圏に2度、走者を置いたが本塁は遠く、無得点のままゲームセット。それでも「一球入魂」で戦い抜いた若者たちに、集結した1500人からは温かい声援が注がれた。

 「作新が相手だからといって、名前負けしては絶対にダメだと話して、試合に臨みました。チャレンジャーの気持ちで全力でぶつかっていこうと。初回から臆することなく全員で声を出していけたと思います」

 主将の蒲原大稀(2年)は語気を強めた。2回先頭では右前安打を放ち、好機を演出。投手としても4番手で8回途中から救援し、1回2/3を無失点に抑えた。冬場の体力づくりを目前に、全国レベルの難敵と戦えたことは大きな財産になる。「一人ひとりの個人の技量はもちろん、攻守交代時のダッシュとか、そういう面でも見習わなくてはいけない」と収穫を口にした。

 水戸一は1878年創立の進学校。1891年には硬式野球部が誕生した。明治後期には飛田を擁して黄金時代を迎え、1929、30年と夏の甲子園には2年連続出場。54年には3度目となる夏の甲子園に出場するなど、茨城の高校球界をリードしてきた。しかし、昭和後期以降は常総学院をはじめとする私学勢の台頭も目覚ましく、甲子園は遠い。この日、客席に陣取った70、80代のOBからは「せめて目が黒いうちに、甲子園で校歌『旭輝く』を歌いたい」という声が聞かれた。

 そんな伝統校を率いる竹内達郎監督(45)は常総学院の出身だ。木内幸男監督のもとで主将を務め、その打棒は2学年下の金子誠(現日本ハム打撃チーフ兼作戦コーチ)が憧れていたほど。筑波大でも主将。4年秋には首都大学リーグ制覇に貢献し、MVPに輝いた。高いレベルの競争を勝ち抜いてきた指揮官だが、11年春に水戸一の監督に就任後、県大会で上位進出は果たせていない。入試にスポーツ推薦はなく、他校が有望中学生のスカウティングに力を入れる中、県内最高峰の難易度を誇る入試に合格した生徒達で、チーム編成をしなくてはならない。

 「『やってやれないことはない、なせばなる』といつも私自身や部員に言い聞かせながら、戦っています。手間暇をかけないと、なかなかそこまでいかないですが、必ずやという気持ちでチームづくりをしていけば、そういうチャンスには遭遇できるかなと思っています」

 竹内監督が意識するのは「弱者の兵法」だ。

 「強豪私立に勝つためには、まずは外野フライ―大飛球をしっかり捕る。そして送りバントをせずに強攻で来ますから、ゲッツーを確実に取る。複数走者がいた時に適時打が発生した場合、後ろのランナーに余計な進塁をさせない。これらを想定しながら、守備面を強化をしているところです」

 攻撃面ではどうか。

 「ラインアップでも3、4人を打棒の利く選手に育てたい。野球は9イニングの中で3度、チャンスがあります。長打、連打はなかなか難しいので、ヒットエンドランや足を絡めたりとかで、相手のディフェンスを揺さぶりながら得点していくのが信条です。そういう戦い方を1年間かけて鍛えていきたいと思います」

 近年、明るい話題もある。前任の中山顕監督(48)=現日立一監督=の頃から、水戸一では卒業後も大学で野球を続ける若者が増えてきた。09年卒の高橋直樹外野手は早大で副将を務め、4年秋には東京六大学でベストナインに輝いた。樋川大聖投手は京大に現役合格すると、関西学生リーグで2勝を挙げた。竹内監督は語る。

 「イマドキの表現だと『持続可能な』という。好きで始めた野球をライフステージで長くプレーしてほしいんです。知的好奇心のある生徒たちですから、それが野球に向いてくれているのかなと。全国に散って、さらに野球を続けているというのは、指導者として一番の喜びです。上のステージで、強豪校出身の選手たちとまた戦える。高校の2年3か月ではなく、それ以上のことも考えて指導をしています。野球が大好きな野球人に、野球愛好家に育てていきたいんです」

 OB一人ひとりが自らの体験を通じ、大人になってからも“野球の伝道師”として、面白さを子どもたちに伝えていく―。それは飛田がかつて歩んだ道、そのものと言えるかもしれない。

 まもなく水戸にも冬がやってくる。ナインもいてつく寒さの中、鍛錬に没頭することになる。「ひと冬越えれば、選手は化ける」が高校野球の格言。この1敗を、決して無駄にはしない。

 ◆竹内監督が大学コーチ時に小針監督指導した縁で実現

 両校は同じく創立が明治10年代という伝統校。夏の甲子園出場を争った1953年の北関東大会1回戦でも対戦し、この時も作新学院が5―2で勝利している。竹内監督が筑波大のコーチ時代、同大の二塁手だった作新学院・小針崇宏監督を指導した縁もあり、記念試合が実現した。小針監督は大勝にも「水戸一は選手一人ひとりが全力を出し切り、一生懸命に楽しくプレーしていた。竹内監督と戦えたことで自分自身、原点に立ち返りたいと思います」とたたえた。

 ◆水戸一 1878年に茨城師範学校の予備学科として創設。校舎は水戸城跡にある。1950年に共学化。約70キロを一晩かけて歩行する名物行事「歩く会」はOGの直木賞作家・恩田陸によって「夜のピクニック」と題して小説化され、映画化もされた。主なOBは深作欣二(映画監督・故人)、山口那津男(公明党代表)ら。硬式野球部のOBには西鉄黄金期に外野手で活躍した玉造陽二、JFEスチール社長の柿木厚司、ヤクルト球団専務の江幡秀則らがいる。鈴木一弘校長。

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