高校世代で初キューバ遠征の東京高校選抜、劣悪環境でも“王国”キューバを感じろ!

スポーツ報知
ベンチから指示を出す前田監督。69歳になった今でも闘志は全開だ

 東京高校選抜が4年ぶり3度目の海外遠征となるキューバ遠征に15日、出発する。高校生の年代がキューバに遠征するのは全国でも初のケースで、同国U17代表と5試合を戦う。チームを率いる歴代4位タイの甲子園通算51勝を挙げている帝京・前田三夫監督(69)ら豪華指導陣にチーム編成について聞くとともに、9日に神宮で行われた日大1年生との練習試合を取材した入社1年目の森下知玲記者が、野球王国に遠征する意義を「見た」コラムでつづります。

 東京から選び抜かれた20人の精鋭たちが、キューバ遠征に向け、ワンランク上となる大学生との練習試合に臨んだ。厳しい代表争いを勝ち抜き、日の丸を背負った球児たちは、野球王国キューバにどう立ち向かい、何を吸収するのだろうか。

 選抜メンバー発表から約1か月。“仮想キューバ”で日大の1年生と戦った試合は0―5で完封負け。早実・生沼弥真人(やまと)主将(2年)は「大学生は、球速もキレも、すべてにおいてレベルが高かったです」と脱帽した。それでもチームは不慣れな木製バットで、相手に並ぶ6安打を放った。

 金属バットに比べ、重さがある木製バットに対応するため、タイミングの取り方を工夫した。「ヘッドをあまり入れずに、バットの重みを利用して、しなりでボールを運ぶようにしてから、手応えを感じています。キューバの投手は球が速いと聞いたので、前で(球を)捉えられるようにならないと」と課題も見つけていた。

 練習試合前日には、U―18日本代表に2度、選出された日本ハム・清宮幸太郎内野手(19)が球場を電撃訪問。「短期決戦でチームになるには、全員で一丸となることが大事」とアドバイス。ナインは発奮し、全員野球の重要性を再認識。さらに結束を高めた。

 エールを送った清宮のように、高校時代に国際試合を経験できる選手は、ごくわずかだ。海外遠征は異国の野球を学ぶ貴重な経験になる。同じ“野球”でも、体格が違えばプレースタイルは異なる。それはプレー環境にも言えるだろう。

 昨年パ・リーグでDHのベストナインを獲得したデスパイネ(ソフトバンク)を始め、キューバやコロンビアなどの中米からは、日本でも活躍する選手が輩出され、野球はメジャースポーツとして親しまれている。だが実際は、スポーツ用具店でボールすら販売されていない所もあるそうだ。

 全日本野球協会の国際事業委員を務める柴田穣氏によると「中米の、野球が盛んな国でも道具を探すのは大変。トップ選手でも、グラブのひもが切れたら、普通のヒモで直したりしている。球場も芝ではなく草だし、粗末」であるのが現状だという。海を渡り、プレーすることで、日本にはない発見があるだろう。

 打てなければバットをたたきつけ、打たれればグラブを投げつける。日本球界でもまれに見る光景だ。選手の皆がみな、そうではないが、道具が手に入りやすい日本の恵まれた野球環境も多少は影響していると感じる。現地で学ぶことは技術面だけではないはずだ。

 遠征初日には合同レセプションが開かれる予定。「なかなか経験できない。学ぶ姿勢で行きたいです。スペイン語は話せないのでジェスチャーで」と生沼。グラウンド内外での“気付き”こそが選手の成長にもつながる、海外遠征の意義だと思う。12日間のキューバ遠征を終えた時、未来のスターが飛躍していることを期待せずにはいられない。(森下 知玲)

 ◆森下 知玲(もりした・ちあき)1995年10月6日、福井市生まれ。23歳。関大卒。元甲子園球児の父の影響で野球に興味を持ち、中学ではソフトボール部に入部、大学では軟式野球同好会でマネジャーを務めた。学生時代はスコアブックを持参して甲子園に足を運び、15年春に敦賀気比が福井県勢初優勝を果たした時の感動もあって、野球記者を志す。

 ◆コーチ陣も豪華

 歴代最強の前田TOKYOが結成された。日大三・小倉全由監督(61)、早実・和泉実監督(57)、二松学舎大付・市原勝人監督(53)という豪華コーチ陣も圧巻だが、セレクションを経て東京中からメンバー20人を厳選したのだ。

 夏の東西東京大会で活躍していた1、2年生に加え、秋季都大会の1次予選全24ブロックから推薦選手を募り、全96選手が参加して11月5日にセレクションを開催。丸1日をかけて全選手の実技を首脳陣がチェックした。前田監督は「キューバという国は、バッティングは思いきり振ってくるし、ピッチャーもいい。ピッチャーは変化球にキレがあるのを、キャッチャーは肩が強いのを、野手は守れて打てるのを選んだ。この20人がベストかなと思います」と胸を張った。

 実際、都立勢で唯一、メンバー入りを果たした日野・山崎主真内野手(2年)は、1次予選の初戦で姿を消していた。小倉ヘッドコーチは「バッティングもよかったし、足もある。今回は1次予選で負けたからダメ、といった見方じゃなかったので選ばせていただきました」と説明した。

 4度の練習と日大1年生との練習試合を経て、チーム編成も固まってきた。前田監督は当初、「エースは井上(日大三)」と話していたが、右肘に不安を残す点を考慮し、最速150キロを誇る来秋ドラフト上位候補をクローザー起用へと方針転換。打力を生かし、野手としての起用も検討している。20人の能力をフルに生かし、ベストの布陣でキューバに乗り込む。

 ◆4年かけ準備

 全国初のキューバ遠征が実現した裏には、4年がかりの綿密な準備があった。都高野連の武井克時理事長(69)は「理事の先生方の中で、野球の本場であるキューバに行けたらいいな、という話があり、キューバ通の全日本野球協会・柴田穣さんに話をお聞きしながら具体化していきました」と説明。15年のU18W杯(大阪)、昨年のWBC2次R(東京)で来日したキューバ関係者と交渉を重ねるなどして“赤い稲妻”との対戦を実現させた。

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