【センバツ】盛岡大付・阿部、難病乗り越え初戦突破だ「気迫全面に出す」

スポーツ報知
ブルペンで投げ込む盛岡大付・阿部(カメラ・小林 泰斗)

 盛岡大付は25日のセンバツ高校野球(甲子園)1回戦で、プロ注目の147キロ右腕の岩本大地(3年)擁する石岡一(茨城)と対戦する。剛腕と投げ合う盛岡大付のエース左腕・阿部秀俊(3年)は多彩な変化球とコントロールを武器に、打者を翻弄(ほんろう)する技巧派。「気迫の投球で、リニューアルした姿を甲子園で見せたい」と背番号1は気合十分だ。

 鋭く振られた左腕からキレのある直球とブレーキの効いた変化球が、ミットをたたいた。阿部は「調子は良くもないし、悪くもない。(本番で)しっかり投げられれば良いです」。感触を確かめるようにブルペンでは球数を抑えながら、冷静に最終調整を進めた。

 166センチ、65キロの小柄なエースは、制球力の高さとスライダー、カーブ、チェンジアップ、スクリューを操り、相手打者を翻弄する。昨秋の東北大会では全4戦に先発し、準々決勝、準決勝は完封。チームを準優勝に導き、2年ぶり5回目のセンバツ出場の立役者となった。関口清治(41)監督も「いつも試合で強さを見せてくれる」と信頼は厚い。

 大舞台やピンチに動じない心も強い武器だ。阿部は「打たれたとしても、弱い表情を見せたらつけ込まれる。点を取られても取り返してくれると信じている」と落ち着いたマウンドさばきを見せる。甲子園では仲間を鼓舞する気迫も加えていく。「気合MAXでリニューアルした姿も見せたい。気迫を全面に出します」と言葉に力を込めた。

 原因不明の病に負けず、名門のエースまで上り詰めた。小3の時に右大腿骨が壊死するペルテス病にかかった。入院やリハビリのため、2年以上野球ができない時期があったが、「入院しているときも、やめたいと思ったことはなかった。できるまでずっとやっていたい」。今も完治はしておらず、年に1回、都内の病院に通い経過観察中。「今のところは大丈夫です」と大好きな野球ができる喜びをかみ締め、マウンドに上がっている。

 相手エースの147キロ右腕・岩本との投げ合いに向けても冷静な心で臨んでいく。阿部は、「(大船渡の157キロ右腕)佐々木とも県予選の時に比較されたりしたけど、自分は自分の持ち味を出して勝てればと思います」とキッパリ。強心臓の技巧派左腕がエース対決を制し、初戦突破を決める。(小林 泰斗)

 ◆阿部 秀俊(あべ・ひでとし)2001年4月17日、岩手・一関市生まれ。17歳。滝沢小時代に滝沢弥栄スポーツ少年団で野球を始める。一関東中では岩手ボーイズに所属し、2年時に東北選抜。盛岡大付では2年春からベンチ入り、2年秋から背番号1。166センチ、65キロ。左投左打。血液型O。家族は両親。

 ◆ペルテス病 股関節に起こる病気。大腿骨頭への血行が途絶されることにより骨が壊死(えし)する。発症年齢は4~9歳。原因は判明していない。股関節の痛みや運動の制限、跛行(片足を引きずって歩くこと)が生じる。手術やギプスを巻く治療を行い、回復まで2~3年を要する。回復後も、成人になるまでは骨の状態の経過観察が必要。

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