【センバツ】札幌第一・大平主将、盲腸から執念の復活3安打

スポーツ報知
記録的大敗に表情を曇らせる札幌第一ナイン

◆第91回センバツ高校野球大会第3日 1回戦 山梨学院24―5札幌第一(25日・甲子園)

 苦難の春―。2年ぶり3度目出場の札幌第一は、5―24で山梨学院(山梨)に敗れ、センバツ初勝利を逃した。6投手をつぎこむ総力戦も強力打線を止められず、センバツでは道勢ワーストの24失点。それでも主将の大平裕人遊撃手(3年)が、3安打1打点と孤軍奮闘の活躍をみせた。今月8日に盲腸を手術も18日に執念の復帰。万全ではない中悲願の聖地で力を尽くした。悔しさを胸に雪辱の夏へ再スタートする。

 痛みは忘れていた。20点差を追う9回1死一、二塁。札幌第一の1番・大平が、外角直球を右前に運ぶタイムリーで意地を見せた。だが反撃はそこまで。2点を返すのがやっとだった。大平は「とにかく、後ろに回すことだけを考えて食らいついた。これだけの点差を付けられての負け。悔しい以上に思うことがある」と声を絞り出した。

 出場回避の危機を乗り越え、聖地に立った。静岡合宿中の今月7日、猛烈な腹痛に襲われ、病院に救急搬送された。診断結果は盲腸(虫垂炎)。急きょ北海道から駆けつけた家族と相談した結果、回復が早いと言われた手術に翌8日に踏み切った。センバツに間に合う保証はなかった。大平は「あの時の記憶が一瞬、よみがえった」と振り返る。

 大平が言う“あの時”とは小学6年の冬。念願だった日本ハムのジュニアクラブ、「ファイターズジュニア」の一員に選出されたが、本番直前の練習試合で、ベースと走者の足に挟まれ左手甲を骨折。試合には1イニングも出場することができずに終わった苦い過去があるだけに「ここ(甲子園)では絶対にプレーすると決めていた」と強い覚悟があった。

 4歳の頃、札幌ドームで日本ハム戦を家族と初観戦。ベンチ近くで見学していると、当時現役だった現日本代表監督の稲葉篤紀氏(46)に「男の子なら、汗を流してスポーツをしよう」と声を掛けられた。大平が野球の道へ進むきっかけとなった一言。ファイターズジュニアでの夢は断たれたからこそ、次の目標となった甲子園出場は何が何でもかなえたかった。

 「痛みはなかった。痛いなんて言ってられないです。個人の成績なんてどうでもいい。チームを勝たせられなかったのが一番、悔しい」と大平は言った。甲子園で3打数3安打1打点。夢だった聖地を走り回った。次なる目標はもう決まっている。聖地1勝。雪辱を誓う夏へのスタートを、甲子園で切った。(清藤 駿太)

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