記録に記憶に残るメジャーリーガー続々引退…首位打者3度のマウアー…09年イチに競り勝つ

スポーツ報知
2010年4月、捕手としてエンゼルス・松井秀喜と対戦したツインズのマウアー (左)

 メジャー歴代15位の通算3166安打をマークしたレンジャーズのA・ベルトレ三塁手が20日、現役引退を発表してファンを驚かせたが、それ以外にも多くのスター選手がこのオフ、MLBの舞台からの別離を表明した。3度の首位打者に輝いたツインズのJ・マウアー内野手もそのひとりだ。(構成・蛭間 豊章)

 感動的なシーンだった。9月30日のレギュラーシーズン最終戦。今季限りの現役引退を示唆していたツインズのマウアーは、3万144人が集まった本拠地ターゲット・フィールドでのWソックス戦に「1番・一塁」で先発出場。7回に通算2123安打目となる左中間二塁打を放つと、9回表には5年ぶりの捕手用プロテクターにレガーズを付けてグラウンドに登場。目に涙を浮かべながらマスクを装着した。

 過去3度のゴールドグラブ賞を受賞した“元・名捕手”は、先頭打者の初球を受けたところで交代。マウンドに駆け寄って投手のメイと抱き合い、ベンチに下がると、総立ちの地元ファンから大歓声が沸き起こった。その光景に涙する観衆の姿もあった。

 11月12日の引退会見では「数々の個人的な栄誉に輝いてきたのも、チームとしての成功の副産物のようなもの。それより持っていた全てのものを、良きチームメートに与えた男として知られたいと思っています」と語った。また、持参したメモ書きをめくり、時折目頭を押さえながら、約15分間に及ぶ会見では両親を始め高校の恩師、ツインズ関係者らへの感謝を述べた。

 83年にツインズの本拠地から車で約15分の近郊に生まれたマウアーは、高校時代にアメリカンフットボールのQBとしても活躍。同競技の名門フロリダ州立大への進学が決まっていた。だが、2001年のドラフトで指名順トップのツインズが、大型契約を要求した全米NO1のM・プライアー投手(南加大)を回避。地元のヒーローだったマウアーを指名したのだった。

 当時、私はイチローの取材で米国にいた。USAトゥデー紙のスポーツ面トップに、野球とアメリカンフットボールのユニホーム半分ずつ着ているマウアーの写真は忘れられない。一発で名前を覚えたものだ。天才スラッガーはマイナーも足かけ3年で卒業し、メジャーに昇格。23歳となった3年目の06年に初の首位打者に輝くと、08、09年は連続首位打者。特に09年は打率3割6分5厘でイチローとのバットマンレースに競り勝ち、28本塁打、96打点と全て自己最高をマーク。チームもア・リーグ中地区優勝してMVPにも輝いた。

 この年のヤンキースとの地区シリーズ第2戦では延長11回、マウアーの左翼線に飛んだ打球がファウルと判定された。ビデオの再生映像でもフェアゾーンに落ちており、審判団は試合後に誤審を認めた。この試合、ツインズはその裏にサヨナラ負け。大きな舞台での“誤審”によって、この一打が、本塁打のビデオ判定だけでなく、その後の「チャレンジ制度」導入の大きなきっかけとなったといわれている。

 2010年3月21日には、オフにFAになるため11年から8年総額1億8400万ドル(約200億円)の大型契約を結んだ。10年は打率3割2分7厘を残したが、屋内球場だった本拠地のメトロドームから、屋外のターゲット・フィールドに移ったことで、右翼後方から吹き込む風に阻まれ本塁打は激減。10、11年の2シーズン、本拠での本塁打はわずか1本だった。また、13年8月19日のメッツ戦ではファウルチップがマスクを直撃し、脳震とうから長期欠場を余儀なくされた。翌年からは一塁にコンバートされたが、最初の10年間で通算打率3割2分3厘を残したにもかからわず、その後の5年間は同2割7分8厘。打撃低迷が35歳での引退につながったのは残念だった。

 ◆イチローは現役続行 今季のマリナーズ・イチロー外野手は、5月2日限りで一切プレーせずに、会長付特別補佐に就任。その後もチームに同行し、練習だけは欠かさなかった。来年3月20、21日に東京Dで開催されるアスレチックスとの日本開幕戦で、出場登録枠28人入り。来季もプレーする模様だ。ただ、25人枠となる米本土に戻ってからの待遇については明言していない。なお、メッツのD・ライト内野手は引退示唆も契約が2年残っている。

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