ニューカム氏死去 1962年には打者として中日でプレーした初のサイヤング賞投手

スポーツ報知

 初のサイ・ヤング賞投手で1962年には打者として中日でプレーしたドン・ニューカムさんが18日(日本時間19日)、死去した、とドジャースが発表した。92歳だった。

 ニューカムさんはニグロリーグでプレーし、当時本拠地がブルックリンにあったドジャースと1946年に契約。1949年にメジャーデビューした。剛腕投手としていきなり17勝をマークするなどドジャース黄金時代を支え、1956年には27勝を挙げ、ナ・リーグMVPになるとともに、同年制定された最も優秀な投手に贈られるサイ・ヤング賞も受賞した。絶頂期であった1952、53年の2年間は1960年インディアンスでメジャー生活に終止符を打つまで通算149勝90敗だった。

 また、強打の投手としても知られ1955年にはシーズン7本塁打、打率3割5分9厘をマーク。メジャー通算でも2割7分1厘、15本塁打をマーク、しばしば代打でも登場した“二刀流”でもあった。1962年、マイナーでプレーしていたニューカムさんを、後に野球殿堂入りしたラリー・ドビーさんとともに、野手として獲得(登録名はニューク)。わずか81試合ながら12本塁打を放ち、マウンドにも1度だけ上がった。

 帰国後はドジャースの組織に戻って、地域のコミュニティ活動に貢献。自らが陥った飲酒の弊害や薬物乱用の問題など訴えるなどしていた。また、ドジャース入りした日本人選手にもやさしく接してアドバイスを送っていた人物。球団は、彼に対し「際限ないアドバイスとリーダーシップの男」として高く評価していた。

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