米震撼イチローのレーザービーム〈3〉語り継がれる「ザ・スロー」

スポーツ報知
キャンプでの練習でジャンピングキャッチを披露するイチロー(カメラ・安藤 篤志)

 14年からシアトル・タイムズの記者を務め、今やエース記者となっているライアン・ディヴィッシュ氏。イチローがメジャー1年目だった01年は、モンタナ大の学生だった。

 「スポーツバーでバーテンダーのアルバイトをしていた時だった。店のテレビで試合が流れていた。あの夜は、イチローの送球が何度も何度もリプレーされていた。お客さんはみんなエキサイトして、その送球がどれだけすごいか。そして昔のメジャーリーガーの強肩外野手と比べてどうかを議論しあっていた。みんな盛り上がっていたのをよく覚えている」

 同紙30年来のベテラン記者で、コラムニストでもあるラリー・ストーン氏はこう回想する。

 「実はあの時、私はチームに帯同していなかった。(シアトルの)自宅でテレビを見ていたが、あの時のニーハウス・アナの叫び声、矢のようなスピードで真っすぐ三塁手のグラブめがけて飛んでいった送球。三塁手がグラブをまったく動かさなかったことなど、はっきり覚えている。あのプレーの後から、メジャーで彼の送球のすごさを知らない人はいなくなったよ」

 どれほど速い送球だったのか。スポーツ報知の安藤篤志カメラマンは当時、一塁側ベンチ横のカメラマン席にいた。

 「捕球動作から送球までシャッターを押し続けたんです。通常、右翼手が三塁へ送球した場合、投げた瞬間を撮影してから三塁にレンズを向けても、三塁のクロスプレーは間に合う。でも、この時ばかりは勝手が違った」

 イチローが投げた後、レンズを三塁側に向けると、すでに全てが終わっていたという。

 「アウトになった一塁走者・ロングがぼう然としていた。後で映像を見て改めてイチローの送球のすごさに納得させられた」

 かつて、メジャーの強肩外野手には「ストロングアーム」「ライフルアーム」といった表現を使うのが一般的だった。昨年の日本シリーズでソフトバンクの強肩捕手・甲斐に付けられた「キャノン(大砲)」という形容詞も以前からあった。

 しかし、イチローのこのビッグプレー以降、日本だけでなく米国の放送関係者も「レーザービーム」「レーザーアーム」を使うことが多くなっていった。

 それだけではない。1954年のワールドシリーズで、ジャイアンツのウィリー・メイズが後ろ向きで大飛球をつかんだ「ザ・キャッチ」と対をなすように「ザ・スロー」として語り継がれている。(構成・蛭間 豊章)

 ◆ザ・キャッチ 1954年、ジャイアンツの中堅手、ウィリー・メイズがインディアンスとのワールドシリーズ第1戦の8回無死一、二塁で披露した超美技。ポロ・グラウンズの中堅(147メートル)への大飛球を、背走に背走を重ね約135メートル付近で後ろ向きのまま捕球。すぐさま返球した。ピンチをしのいだジ軍は4連勝で世界一となった。その後、外野手の好守にはたびたび“ザ・キャッチ”との言葉が使われる。

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