米震撼イチローのレーザービーム〈5〉「スピード」という野球の妙味思い出させた

スポーツ報知
新人では史上初の最多得票でオールスター戦出場を決めたイチロー

 01年4月11日、アスレチックス戦でレーザービームを披露した試合後、イチローは「打球が来たから、三塁に投げただけ」。アウトになるのは当然だったというわけだ。

 勝利の立役者になってもニコリともしないミステリアスな受け答えは、日本人記者以上に、マリナーズの担当記者たちの興味をそそった。シアトル・タイムズ紙のベテラン、ラリー・ストーン記者は「記者は彼に回答してもらえるよう、賢い質問をしなきゃいけない。それもイチローならでは」と当時をふり返る。

 開幕後のイチローは、打っては4月20日までチーム新人記録の15試合連続安打。オリックス時代の95年に49盗塁でタイトルを獲得した走力面では「日本よりはるかに(盗塁が)できると思います」と言いながら、最初の11試合は走るそぶりも見せなかった。ところが「サインを出さなくてもどんどん走っていい」とピネラ監督から指示を受けると、4月15日エンゼルス戦で初盗塁を決め、塁上で最も危険な走者になっていった。

 守備、打撃、走塁。全てがスピード感にあふれていた。マーク・マグワイア、サミー・ソーサ、バリー・ボンズらに彩られた1990年代後半の本塁打ブーム。それに熱狂していたファンは、忘れかけていた「スピード」という野球の妙味を思い出し、魅了されていった。

 シアトル・タイムズ紙は「彼の送球はロベルト・クレメンテを思い起こさせ、ケン・グリフィーを忘れさせるような捕球をし、ルー・ブロックのように走る」と絶賛のコラムを掲載。ESPNの「ベースボール・トゥナイト」は、番組の冒頭で「きょうもイチローがヒットを打った」と流すなど、全米人気はぐんぐん上がって、オールスターファン投票では337万3035票を集め、史上初の「新人によるファン投票1位」となった。

 平成3(1991)年ドラフト4位でオリックス入団。平成13(01)年からはメジャーで数々の金字塔を打ち立ててきた。平成のベースボールシーンはイチローとともにあった。(構成・蛭間 豊章)=おわり=

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