ドラフト4位、無名の「鈴木」から始まったイチローの野球人生、日本人メジャーリーガーの先駆者に

スポーツ報知
1991年3月29日、第63回センバツ高校野球第3日、松商学園戦で登球する愛工大名電・鈴木一朗(イチロー)投手。10安打3失点で負け投手に

 マリナーズ・イチロー外野手(45)が21日、現役引退を発表した。今季はマイナーからの招待選手としてアリゾナ州ピオリアのキャンプに参加。日本での20、21日の開幕カード・アスレチックス戦(東京D)ではメジャー登録され、スタメン出場したが、無安打だった。

 イチローは1991年のドラフト4位でオリックスに入団。名門・愛工大名電高では1年時からレギュラーだったとは言え、指名順位が示すように注目を浴びた選手ではなかった。1年目の92年から1軍で40試合に出場し、2年目には開幕スタメンをゲット。だが、定位置をつかむことは出来ずに43試合の出場に終わった。

 一気に花が開いたのは94年。この年の開幕直前に仰木監督が登録名を本名の鈴木一朗からイチローに変更することを発案。今でこそ、本名の名字以外を登録名にすることは、そこまで珍しいことではなかったが、当時は画期的なアイデアだった。

 今では誰もがその存在を知ることになった背番号51の「イチロー」は、94年に日本プロ野球史上初となるシーズン200安打突破を果たすなど210安打を記録。独特の「振り子打法」を武器に、3割8分5厘という驚異的な数字をたたき出して、野手としてはプロ野球史上最年少でMVPに輝くなど、スター街道の歩みを始めた。

 その後は2000年まで7年連続で首位打者に輝くなど、敵なし状態となり、00年オフに日本人初となるポスティングシステムでマリナーズ入りを決断。それまで野手として成功した日本人メジャーリーガーはおらず、メジャー挑戦を疑問視する声も多い中で荒波に飛び込んでいった。

 そんな雑音はすぐに消えていった。1年目の01年に打率3割5分で242安打を記録。MVP、新人王に輝くなど圧巻の活躍をして見せた。04年にはシーズンメジャー史上最多安打となる262安打も樹立。その名を世界にとどろかせた。06、09年には日本代表の一員として第1、2回WBCに出場。チームの先頭に立って大会2連覇に大きく貢献した。

 そんなイチローの活躍に陰りが見え始めたのは11年から。10年まで続いた10年連続200安打が止まり、12年途中にはマリナーズの将来も考えた上で、志願してヤンキースにトレード移籍。14年には先発を外れる機会も多くなり、全盛期の半分ほどの385打席102安打に終わった。同年オフにはFAとなり15年からはマーリンズでプレー。18年には古巣・マリナーズに復帰したが、5月からは会長付特別補佐に就任して一線を離れた。

 今季は渡米19年目にして初めてマイナーからの招待選手としてキャンプに参加していた。

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