【選手名鑑を読む】プロ野球は4~7月、J1は上半期生まれが圧倒的 身長さば読みも判明?

スポーツ報知
プロ野球支配下登録選手の誕生月別人数

 プロ野球が開幕し、新年度もスタート。進学して、入部する部活を探している学生さんも多いはず。

 ところでスポーツ観戦のお供の「選手名鑑」をよく見ると、4~7月生まれの選手が圧倒的に多いことをご存じだろうか? 競技ごとの比較や「身長」に隠された謎など、選手名鑑から「数字」だけを抜き出して、さまざまな分析をしてみた。

 そして学年で最も遅い生まれとなる4月1日が誕生日の桑田真澄氏(50)=スポーツ報知評論家=には「誕生月」にまつわる学生時代の思い出を語ってもらった。

 ◆プロ野球支配下登録選手の場合

 【グラフ1】はプロ野球が開幕した3月30日時点の支配下選手の誕生月を集計したものだ。外国生まれの選手は除外している。最も多いのは5月生まれで79人。グラフを見ると、70人台後半の4~7月生まれのグループ、50~60人台の8~11月グループ、40人台の12~3月グループと3つに大きく分かれた。

 ◆プロ野球開幕1軍選手の場合

 【グラフ2】は開幕1軍の日本出身選手だけに絞った傾向だ。【グラフ1】と異なり5月生まれが少ないが、それでも4~7月、8~11月、12~3月と大きく3グループに分かれた。

 ◆J1クラブの選手の場合

 他競技ではどうだろうか。【グラフ《3》】はサッカーJ1で、3月30日時点での登録選手(1種、2種)の傾向だ。こちらは4~9月の上半期グループと10~3月の下半期グループできれいに分かれた。

 ◆日本全体の傾向は?

 ここで厚生労働省が公表している「人口動態調査」から「月別出生数及び死亡数」を参照。現在主力選手の1985年、90年生まれの人数を月別に集計したのが【グラフ《4》】になる。数字は日本全体の出生傾向を示している。すると、これまでの3種類のグラフと異なり、年度の後半生まれが若干多い。どうやら日本全体の誕生月傾向と、2大プロスポーツ選手の誕生月傾向は、異なっているように見える。

 ◆カイ2乗検定を実施

 念のため、プロ野球支配下登録選手の誕生月別人数が、日本全体の傾向と比べて「偏っている」のか調べるため、統計検定で用いられる「カイ2乗検定」を行ってみた。すると「p値」は限りになく0に近い0・000000002219。プロ野球選手の誕生月は統計的にも「偏っている」と認識していいようだ。

 ◆名球会資格選手の場合

 それでは、プロ入り後の成績に「誕生月」は影響するのだろうか? 【グラフ5】は名球会入り資格を持つ選手を分析したものだ。名球会選手の誕生月は、現在の支配下登録選手の構成とは異なり、比較的一定となった。

 ◆プロ野球のリーグMVP選手の場合

 【グラフ6】はセ・パ分立後にリーグMVP選手で分析したものだ。何度もMVPを獲得した選手は複数カウントしていない。MVP選手では、年度前半生まれが多い傾向は変わらないが、2月生まれ選手の健闘が光る。2月生まれのMVP獲得選手は、長嶋茂雄、長池徳二、門田博光、斎藤雅樹、和田毅らが該当する。

 ◆平昌五輪日本選手団の場合

 では、今年2月に行われた平昌五輪の日本選手団を見てみよう。【グラフ7】を見ると、いくつか大きな飛び出しはあるが、プロ野球やJ1のような時期ごとの大きな偏りはない。

 ◆夏季・冬季五輪の日本人金メダリスト

 【グラフ8】の夏季・冬季五輪の金メダリストで見ても、大きな偏りはないようだ。むしろ、4月生まれの少なさが目立つくらいだ。なお、夏季・冬季五輪の金メダリスト数は、個人種目、団体種目、チーム種目全員を合計したもの。そのため、日本の金メダル通算獲得数とは合わない。複数個獲得している選手は、1個としてカウントしている。

 ◆見えてきたこと

 日本で人気が高い2大プロスポーツ入りするためには、小さい頃からチーム内で圧倒的な成績を残す必要がある。年度の序盤に生まれると体つきが大きいため、幼少期からレギュラーとして起用されやすいのではないか。4月生まれと3月生まれでは、ほぼ1年の差がある。

 4月になり、新しく部活に入った学生も多いと思う。早生まれの少年・少女たちには、ちょっと酷なデータかもしれない。しかし、このデータにめげずに「自分は違う」と心に秘めて、ぜひ上を目指してほしい。その闘争心があれば、きっとレギュラーをつかむことができるはずだ。(田中 孝憲)

 ◆選手が身長をさば読み?

 ところで選手名鑑から「身長」を抜き出したのがプロ野球の【グラフ《9》】。見やすくするため、174センチ以上185センチ以下に絞ったが、両競技とも「179センチ」が極端に少ないのが分かる。そして「180センチ」が極端に多い。その他は正規分布に近いことを考えると、異常値だ。身長は申告値のため、179センチの選手がさばを読んで「180センチ」の大台としていると推察される。

 ◆J1でも身長さば読み?

 プロ野球と同様の条件でJ1で描いたのが【グラフ《10》】。こちらもやはり、179センチが11人とやたらと少なく、180センチの選手が41人と最も多くなっていた。

 ◆4・1生まれ 桑田さんの努力とは

 83年夏の甲子園準決勝の池田戦で完封勝利した桑田さん。決勝の横浜商戦も7回途中まで零封。15歳4か月の1年生優勝投手誕生という戦後初の快挙を成し遂げた

 巨人で通算173勝の桑田真澄さんは、1968年4月1日生まれ。いわゆる「67年度組」の一番最後の日に生まれたことになるが、PL学園高では1年生の夏から背番号11で甲子園のマウンドに上がり、日本一に貢献。初勝利や初本塁打など数々の“最年少記録”をマークした。

 桑田さんは早生まれのハンデについて「小学校までは感じました。体格はもちろん、勉強でも理解力とかに差があると思っていました」と振り返る。その差を克服するきっかけになったのは中学校1年生の時。入学直後の野球部の練習で、素質を見抜いた当時の監督から「3年生と一緒に練習しろ」と命じられたという。もちろん3年生との体力差は大きかったが、「差があるのは当たり前と受け止めて、何とかして補おうと考え、工夫するようになった」という。プロでも投手としては小柄だったが、当時身につけた「考えて工夫する」習慣が、その後の活躍に結びついた。

 年齢や学年など「どこで区切っても個人差は必ずある」と桑田さん。「中1でも成長が早くて上手な子がいれば、3年になっても成長途上の子もいる。大切なのは、その子の成長の段階に応じた指導をすること。指導者はそれを常に心掛けるべきだし、子供たちにも自分らしく、自分のペースで努力を積み重ねてほしい。ウサギとカメの物語と同じ。最終的に勝てればいいんです」と話した。(星野 和明)

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