衣笠祥雄さんなくして「江夏の21球」はあり得なかった

2018年4月25日6時0分  スポーツ報知
  • 1979年11月4日、日本シリーズ第7戦で近鉄を破り、日本一を決め喜ぶ衣笠さん(左)、江夏(右から2人目)ら広島ナイン

 阪神などで活躍した江夏豊氏(69)が24日、広島時代の同僚で大親友の衣笠祥雄氏(享年71)の死去を受け、深い悲しみに暮れた。雨天中止となったヤクルト・阪神戦(松山)のテレビ中継の解説のため松山空港に到着した際、故人への思いを語った。

 サングラスの奥の両目は腫れていた。松山空港に降り立った江夏氏は、疲れ切った表情で取材に応じた。「順番だから仕方ない。いいヤツを友人に持った。オレの宝物。まぁ、どっちみちワシもすぐ追いかけるんだから。次の世界でまた一緒に野球談議をするよ」。都内の自宅を出発した後、携帯電話に悲報が入った。人目をはばからず、30分、涙を流し続けたという。

 77年オフに金銭トレードで南海から広島に移籍し、ライバルから親友になった。絆が深まったのは、日本一に輝いた79年の近鉄との日本シリーズ第7戦。山際淳司著のノンフィクション「江夏の21球」でも取り上げられた伝説のマウンドも、衣笠氏の存在なしにはあり得なかった。

 1点リードの9回無死満塁。ベンチがリリーフの準備を始めたことに心をかき乱されていたが、その心情を察した衣笠氏が一塁から歩み寄った。「お前が辞めるなら、オレも一緒に辞めてやる」。一緒にユニホームを脱ぐほどの覚悟を示す熱い言葉に、集中力を取り戻したという。

 今でも孤高の左腕が「3日に一度は話しする」ほど心を許す数少ない親友。思い出されるのは、衣笠氏の強さ、不器用さ、優しさだ。「ブキッチョな男だから。あのスイングを見たら分かると思うけど、常にフルスイング。野球に対してフルスイング。骨折していても、3つ振って帰って来る男だから。あの姿がアイツの野球人生を物語っているよね」と涙ぐんだ。

 衣笠氏がテレビ中継で解説した19日のDeNA・巨人戦(横浜)もチェックし、翌日すぐに電話をかけた。「声も出ていないんだから。1、2年たっても(世間から)絶対忘れられないんだから無理するなよって…」。松山の試合の雨天中止が決まると、東京へ。夜8時過ぎ、都内の通夜会場で亡き友と悲しみの再会となった。(島尾 浩一郎)

 ◆江夏の21球 1979年11月4日の日本シリーズ第7戦の近鉄・広島戦(大阪)。4―3と1点リードの広島は9回裏、守護神・江夏が安打と2四球で無死満塁のピンチを迎える。代打・佐々木から三振を奪った後、石渡のスクイズをバッテリーが外して三塁走者がタッチアウト。2死二、三塁となって、最後は石渡を空振り三振に抑えた。絶体絶命のピンチをしのいで広島に初の日本一をもたらし、球史に残る21球の力投と言われる。

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