【ロッテ】福浦の恩師が2000安打祝福 今明かす前代未聞の“遅刻事件”

スポーツ報知
習志野高野球部元監督・石井好博氏

 ロッテ・福浦和也内野手(42)がプロ野球史上52人目、球団では3人目となる通算2000安打を達成した。習志野高時代の監督である石井好博氏(69)はスポーツ報知に祝福の手記を寄せた。

 福浦君、通算2000安打おめでとう。高校入学当時は一学年3~40人が入ってくる大所帯で福浦君は数多い中の1人という印象だった。最初に入ってきた時は野茂の「トルネード投法」みたいな投げ方だったから、「さすがにそれはやめて普通に投げろ」と言ったことを覚えています。打つ方は1年から試合に出して4番を打たせていた。ロッテの担当スカウトだった伊達泰司さんがウチに来て、「是非、獲りたいです」という話をされた。それを聞いて君には「チャンスがもらえるのなら何巡目でもいけよ」と声を掛けた。どっちかというと打者の方がいいなと思っていた。今年で25年目。ここまでよく頑張ってきた。

 高校時代で印象に残っていることは“遅刻事件”だね。栃木に遠征に行く時に出発時間になっても来なかった。寮に泊まっていたのに。他の選手が「福浦がいません」って言ってきた。「ばか野郎! 寮にいるのにそんなわけないだろ」って言ったんだけど、本当に来なくて、そのまま置いて出発した。後からお父さんと一緒に栃木に来た。そういう、すっとぼけたところがあったな。30分前集合が当たり前だったから、前代未聞。後にも先にも福浦しかいない。そういう意味ではスケールがでかかったのかな(笑い)。せっかく来たから2試合目には使ったけどね。福浦にとってみれば嫌な思い出かもしれないけどね。あの時は来なかったら他の試合も2、3試合はベンチにも入れなかったと思う。遅れてでも来たから許したんだ。

 高校最後の夏の千葉大会では3回戦で野田北に負けた。延長戦入って2死二塁のピンチ。一塁が空いていたから敬遠の指示を出したら、1球目に外の直球でストライクが取れちゃった。そこで色気が出ちゃって勝負に行ったら、打たれて負けた。試合後に「試合には負けたけど、人生に負けたわけじゃないから、これからの頑張り次第でこの負けは取り戻せる」と話した。あの言葉が生きてくれていたら、ありがたいなと思う。

 近年はケガもあって厳しかったと思う。昨年の春先に沖縄に行った時に教え子の小川君(ヤクルト監督)に会った。そこで「もし福浦がクビになったら、ヤクルトで取ってやってくれ。君が監督の間に2000本打たせてやってくれ」とお願いしたことがあった。小川君はその時は笑ってたけどね。ロッテでダメでも何とかして打ってもらいたかった。2000安打は達成したけど、これでゴールじゃない。体に気をつけてまだまだ現役を続けて欲しい。(元習志野高野球部監督・石井好博)

 ◆石井 好博(いしい・よしひろ)1949年4月3日、千倉町(現南房総市)生まれ。69歳。習志野高では67年第49回全国高校野球選手権大会でエースとして県勢初の全国制覇。75年第57回全国高校野球選手権大会では26歳で小川(現ヤクルト監督)を率いて2度目の全国制覇。「選手、監督」の両方で優勝を達成した。

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