【西武】10年ぶりリーグ優勝!辻監督、天国の森慎二コーチと戦い抜いた、一緒に舞った

スポーツ報知
10年ぶりの優勝を決め、ナインに胴上げされる辻監督。森慎二さんのユニホームも(カメラ・池内 雅彦)

◆日本ハム4―1西武(30日・札幌ドーム)

 西武は日本ハムに敗れたが、2位・ソフトバンクがロッテに敗れ、10年ぶり22度目のパ・リーグ優勝を決めた。就任2年目の辻発彦監督(59)は、父・廣利(ひろとし)さん(享年86)と1軍投手コーチだった森慎二さん(享年42)を失う悲しみを乗り越え、札幌Dで8度宙を舞った。防御率、失点ともリーグ最悪ながら、指揮官命名の「獅子おどし打線」が球団新の総得点771をマークした。10年ぶりの日本一を目指し、17日からクライマックスシリーズ(CS)最終ステージ(S)に挑む。

 我が子のような選手たちに呼ばれた。辻監督はゆっくりと歓喜の輪に向かって歩み出した。ナインの手で森慎二さんのユニホームとともに8度、宙を舞った。「この日がいつ来るかいつ来るかと望んでいた。みんなへ『ありがとう』。全てそれに尽きると思います」。涙は見せなかった。10年前と同じく勝利で決められなかった。望んでいた背番号と同じ85勝で飾れなかった。それでも笑顔がはじけた。

 監督生活は悲しみの中で始まった。就任1年目の17年キャンプインの夜。父・廣利さんが辻西武の船出を見届けるかのように他界した。佐賀の実家に駆けつけたい思いをこらえ、新生西武の初日を優先した。「プロ野球の一番大事な時。おやじも『こんでよか』『お前は野球をやってろ』と必ず言う」。天を見上げ、約束した。おやじ、優勝するばい、見守ってや―。廣利さんはチームの前身、西鉄のファン。子供の頃、佐賀から平和台球場に連れていってくれた。父が愛したライオンズの再生こそ、使命と受け止めた。

 父への思いを胸に戦っていた同年6月、再び不幸に直面した。1軍投手コーチだった森さんが急逝した。訃報から4連敗。近い人の死に接するつらさを知っているからこそ、選手に「プロなんだから、慎二のためだけじゃなく勝たないと」と厳しい言葉をかけた。「試合前は必ず(慎二さんと父を)思うようにしているんだ」。マジック1の点灯後は、ベンチとブルペンに背番号「89」を掲げ、天国の仲間とも戦い抜いた。

 今年3月。父の墓前で手を合わせた。「天国から野球、楽しんでね」。父にかけたはずの言葉が、不思議と自分へのメッセージのように入って来た。結果も大事だが、まずは楽しむ―。観客として父の隣に座った平和台が浮かんだ。原点を思い返した。今年は「優勝」の二文字を封印。開幕前、シンプルな思いを選手に伝えた。「お客さんが帰らないチームにしよう」

 二重の悲しみを乗り越え、辻西武は強くなった。自ら命名した「獅子おどし打線」は球団新の年間771得点。128盗塁と足でも重圧をかけた。本塁打数191もソフトバンクと並んで12球団でトップ。失点、防御率ともリーグワーストでの優勝は「いてまえ打線」の01年近鉄以来2度目だった。西武誕生から40周年。10、20、30周年と必ず優勝してきた縁起の良い節目。取られても取り返し、39度の逆転勝ちを生んだ。開幕戦から8連勝し、一度も首位を譲らず走り続けた。今季ワーストの連敗は4。それも5月に1度記録しただけだ。不屈の獅子に魅了された観衆は、試合終了まで席を立つことはなかった。

 息子に野球を勧めたことは一度もなかった。パチスロライターになった長男・ヤスシには「自分のやりたいことをやればいい」と背中を押した。子育て同様、監督としても“チルドレン”の自主性を重んじた。3ボールでも「打て」。犠打のサインも少なかった。ヤクルト時代に影響を受けた野村監督(当時)のID野球を取り入れつつ、自由が責任を生む采配は、現代の選手に心地よくフィットした。一時は不振にあえいだ山川を4番に起用して日本一のスラッガーになった。成長途上の森を捕手で我慢強く起用。源田、外崎は中心選手に育った。

 野球と、人と、自分と向き合い、手にしたリーグ制覇。辻監督は「おふくろが(現役時代に)亡くなった時もこれから親孝行って時だった。おやじは本当に野球が大好きだったから、優勝したって言ったらすごい喜ぶよ」と感慨にふけった。次はCS、そして日本シリーズ。就任時からつけている野球日記には、まだ余白がある。天で見守る両親と慎二さんに日本一の報告をするために―。「この経験がさらに西武ライオンズを強くさせる。来年も再来年も勝ちたい」。黄金期の再来を予感させる最強西武の戦いは続く。(小林 圭太)

 ◆辻 発彦(つじ・はつひこ)1958年10月24日、佐賀県生まれ。59歳。佐賀東高から日本通運を経て、83年ドラフト2位で西武入団。二塁手として黄金期を支え、93年首位打者。ゴールデン・グラブ賞8度。96年ヤクルト移籍、99年に現役引退。ヤクルト、横浜、中日でコーチ、06年WBC内野守備コーチ。07~09年は中日2軍監督を務め、17年から西武監督。182センチ、80キロ。右投右打。

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